自分の生き方や置かれた状況に「悩む人」がいる一方で、同じ環境にいても「悩まない人」がいます。ではどうすれば、「悩みやすい不幸体質」を卒業して、「絶対に悩まない人」になれるのでしょう。
その方法を教えてくれるのが、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』です。12歳からの6年間を「修道院」で過ごした著者が、あらゆることが禁止された暮らしで身につけた「しんどい現実に悩まなくなる33の考え方」を紹介。悲観でも楽観でもない、現実に対するまったく新しい視点に、「現実の見方が変わり、モヤモヤがスッと晴れた」といった声が多数寄せられています。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「悩まない人の考え方」を紹介します。

「負の感情」を手放す、たった1つの習慣
私たちの感情は、日々、振り子のように揺れ動きます。なかでもとくに強いのが、怒りや悲しみといった負の感情のエネルギーです。
負の感情はとても腹持ちがよく、いつまでも「あのときのこと」で怒り、憎しみ、悲しみ、自分の意識の大部分を消費していきます。結果的に、自分の大事なエネルギーを消費し、より大切な自分の人生に時間を費やせなくなります。
そういった感情を手放せずに悩んでいる人もいることでしょう。
そんなときこそ、単調な日々のありがたみを感じるものです。
日々のルーティーンは、私たちを無心にさせてくれます。この無心の状態こそ、まさに負の感情を手放せている状態です。
負の感情が湧いても、「習慣」が私たちを平常心に戻してくれます。「いつもどおり」を実行することで、精神も「いつもどおり」に戻るのです。
感情が揺れたら「いつもと同じこと」をする
昔の私は完璧主義で、神経質な部分があり、不安症でした。よく感情に翻弄され、そんな自分をどうにかしたいと思っていました。
そこで修道院時代の私は、誰かと喧嘩したり、何か嫌なことがあったりしたら、まずはひと晩寝るようにしていました。
そして翌朝起きたら、いつものように食事やお祈りといったルーティーンを淡々とこなします。
朝日に包まれた気持ちのいい空気のなかを走ってお御堂に向かい、手を合わせると、「ま、いっか」と、嫌な気持ちを手放せました。
そして次の日には、「自分が感情的になっていただけだから謝ろう」とか、「やっぱりこの部分は納得できないからもう一度話そう」とか、自分の感情や相手の行動を冷静に俯瞰できるようになっていました。
「ルーティーン」によって、平常心を取り戻す
私の友人に、あるルールを決めている夫婦がいます。夫婦喧嘩をした次の日の朝は、それまでの感情はさておき、必ず旦那さんが奥さんに珈琲を入れてハグをするそうです。
そうすることで日常の感情を取り戻せるのだとか。
とても素敵なルーティーンだと思います。
人間の感情は意外と単純なもので、日々の習慣をおこなうことで思考も平常運転に戻っていきます。
感情に波が立ったとき、あえていつもと同じ習慣をおこなってみると、普段の穏やかな気持ちを取り戻せるのです。
カトリックでは祈りの姿勢は自由なのですが、私は修道院で祈るとき、よく両手を胸の前で合わせていました。このルーティーンを何年も続けたことで、今でもこの姿勢をとることですぐに「精神統一状態」に入れるようになりました。
(本稿は、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「悩まない人の考え方」を多数紹介しています。)