自分の生き方や置かれた状況に「悩む人」がいる一方で、同じ環境にいても「悩まない人」がいます。ではどうすれば、「悩みやすい不幸体質」を卒業して、「絶対に悩まない人」になれるのでしょう。
その方法を教えてくれるのが、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』です。12歳からの6年間を「修道院」で過ごした著者が、あらゆることが禁止された暮らしで身につけた「しんどい現実に悩まなくなる33の考え方」を紹介。悲観でも楽観でもない、現実に対するまったく新しい視点に、「現実の見方が変わり、モヤモヤがスッと晴れた」といった声が多数寄せられています。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「悩まない人の考え方」を紹介します。

“いつもご機嫌”な人が「イヤなことがあった」ときにやっている「一瞬で気持ちを切り替える」すごい方法とは?Photo: Adobe Stock

あなたの「重荷」を一緒に背負ってくれる存在

 聖書にこう書いてあります。

 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

――マタイによる福音書 11章 28―30節

「軛(くびき)」とは牛車につける枷(かせ)のことで、横木で2頭の牛をつなぐ道具です。

 自由を奪いたいという意味ではなく、要は、重荷を一緒に背負うためにつながろうという意味で使われているのだと思います。人間の弱さも、重い荷物も一緒に背負い、愛と連帯のためにつながろうということのようです。

神にとって、私たちの弱音は「小鳥の囀り」

 聖書には「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」ともありますが、これは自身の欲を満たすために頼りすぎるなという意味です。

 私たちの小言など、神様からしたらきっと小鳥の囀(さえず)りと同じのようなものです。
 ですから神様は、どんなに弱音を吐いても受け止めてくれます。

モヤモヤを心の中で声にして、「肩の荷」を下ろす

 自分の弱さ、不自由への不満、モヤモヤした感情。
 そういったものを感じたら自分を責めるのではなく、神に祈るような気持ちで罪を告白するようにしてみてください。

 告解のように神父様に罪を打ち明ける必要はありませんが、自分の中にあるモヤモヤに目を向け、神に伝えてみるのです。
 実際に声に出さずとも、自らの心のなかで声にしてみるだけでかまいません。

 すると、神様が一緒にその罪を背負ってくれて、ほんの少しだけゆるされたような気がしてきます。
 修道院で学んだこの儀式が、今でも私を支えてくれています。

(本稿は、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「悩まない人の考え方」を多数紹介しています。)