
バブル崩壊による深刻な不況が続く中、「J-POP」というジャンルが確立され、数々のミリオンヒットが生まれた平成の音楽シーン。景気の低迷と裏腹にかつてない盛り上がりを見せた音楽業界の黄金時代を振り返る。※本稿は、合田道人『歌は世につれ♪流行歌で振り返る昭和100年』(笠間書院)の一部を抜粋・編集したものです。
1994年(平成6年)
大衆音楽から世代別音楽へ
前年に誕生した細川内閣は連立政権の運営が行き詰まり総辞職。細川護熙首相から自民・社会・さきがけの連立による村山富市へと政権交代した。
そんな時期にオウム真理教による「松本サリン事件」が起き、前年の米不足から店先に「タイ米」が出回り「平成米騒動」などと呼ばれた。円高は歯止めが利かず、戦後初の1ドル100円を突破。東京外国為替市場でも一時99円50銭と戦後最高値を更新した。
子役だった安達祐実がヒロインのテレビドラマ『家なき子』が高視聴率を上げ、「同情するなら金をくれ」が流行語となり、中島みゆきが歌う主題歌の『空と君のあいだに』が140万枚突破の大ヒット曲に。ヤングなママ、ヤンキーなママから作られた「ヤンママ」、日本のポピュラー音楽全体を示す「J-POP」という単語が一般化したのもこの年からだ。
最大のCD売上を誇った曲が、181万枚のミスチル(Mr.Children)の『innocent world』、売上2位は175万枚で広瀬香美の『ロマンスの神様』、3位、162万枚の篠原涼子と小室哲哉による『恋しさとせつなさと心強さと』などのミリオンヒットはみな「J-POP」と呼ばれる音楽だった。