
終戦直後の焼け野原に“ブギ”の陽気なメロディーが高らかに響き渡った。挫折感に打ちひしがれながらも、復興に向けて突き進んだ日本人の胸には、心の憂さを晴らし悲哀を受け止めてくれる愛すべき名曲たちをたどる。※本稿は、合田道人『歌は世につれ♪流行歌で振り返る昭和100年』(笠間書院)の一部を抜粋・編集したものです。
1948年(昭和23年)
進駐軍をも驚かせたブギウギ旋風
帝国銀行椎名町支店で行員12人の毒殺事件が起こり、巷では陽気な「ブギウギ」リズムが流れていた。
『東京ブギウギ』から始まった笠置シズ子(のちシヅ子)の「ブギウギ旋風」は、この年だけで『ヘイヘイブギー』『大阪ブギウギ』『ジャングル・ブギー』と続く。焼け跡に響き渡る彼女の明るい“ヘイ!”という叫び声は、敗戦の挫折感に打ちひしがれた国民の心の憂さを一気に晴らしてくれるかのようだった。
舞台の上手から下手へと所狭しと動きながら歌う姿と怒鳴るような歌唱法に進駐軍の兵士が「本当に、あれが敗戦国民なのか!?」と驚いたほど。
「ブギウギ」に浮かれる半面、悲しい旋律「エレジー」も登場。それが当時「戦後最大のヒット曲」と言われた近江俊郎の『湯の町エレジー』だった。担当ディレクターは最初、「湯の町ブルース」の題名で古賀政男に作曲を発注した。だが上がってきた歌は、ブルースではなく典型的な“古賀メロディー”だったのである。