シリア人作業員たちとにこやかに会話しながら何かメモを取っているようであった。次の日もまたその次の日も同じ光景をしばしば目にした。次第にその光景が1日に何度も目につくようになり、気になって仕方がなかった。

先輩、何をメモしているんですか?
彼は恥ずかしそうに答えてくれた

 発掘調査を始めて10日ほどが経過した頃であろうか、雨を望むべくもない、一点の曇りもない青空が広がる灼熱(しゃくねつ)のなかでの午前中の作業を終え、お昼ご飯を食べるために車で宿舎に戻った際に意を決して先輩に訊いてみた。あのときはかなり緊張したことを覚えている。

 すると返ってきた答えは、「アラビア語の勉強や」であった。そして胸ポケットに入れてあった緑色の表紙をした野帳を取り出し、恥ずかしそうに私に見せてくれたのである。

 ところどころ表紙の濃い緑色がはげ落ちており、かなり使い込んでいることは一目瞭然だった。しかし、それを見た瞬間、若くて未熟で、未経験のため余裕がなかったとはいえ、私の方が少し恥ずかしくなってしまったのだ。

 その野帳には付箋(ふせん)のように小さな紙で50音順に見出しのようなものが手作りで貼り付けられていたのである。そこに流暢なアラビア語会話の秘密があったのだ。「努力は人を裏切らない」という言葉を地で行くものだった。つまり「あ」の項目には、「赤色」に対応するアラビア語「アハマル」が、そして「ね」の項目には「ネコ」に対応するアラビア語「ベス」が記されていたのだ。

 私と同じくアラビア語を正式に学んだ経験のなかった先輩は、現地作業員から耳で聞いて、その発音と意味を作業員たちに確認し、日本語や英語で即席簡易の手製の対訳辞書を作成していたのである。極めてシンプルな語学の勉強方法ではあったが、大学前教育で「英文法命」であった世代の私のような者には、思い浮かばなかった方法だった。

この発掘調査で未熟な院生にも
できそうなことが見つかった!?

 さっそく次の日から先輩の真似をした。これは私の長所だ。良いと感じたものは何でも採り入れる。特にあのときは何としてでも今すぐ真似をしなければならないと思ったのだ。スポーツでも何でも上達するには上手い人の真似をするのが最大の近道だと経験上知っていたからだ。緑の野帳は考古学の定番アイテムなので、私ももれなく日本から数冊持って来ていた。