幕末期に活躍した人物の中でも屈指の人気を誇る坂本龍馬。だが、その人柄は後年の小説や漫画から創作された可能性が高いという。多くの人々に印象付けられた龍馬の虚像はどのように作られたのか?数奇な経緯に迫る。本稿は、浮世博史『くつがえされた幕末維新史』(さくら舎)の一部を抜粋・編集したものです。
俗説が飛び交うほど人気の坂本龍馬
司馬遼太郎作品が流布に大きく影響か
《死ぬときは、どぶの中でも前のめりで死にたい》
現在50歳以上の方で、この言葉が坂本龍馬の言葉だ、と知っている人は多いかと思います。これ、実は、原作梶原一騎、作画川崎のぼるによる漫画『巨人の星』(1966年~71年)の中で主人公星飛雄馬にその父星一徹が坂本龍馬の言葉として教示したものです。
主人公飛雄馬のみならず多くの読者が影響を受けたもので、今でもときどき、60歳以上の方が坂本龍馬の名言としてご紹介されるのをお見受けします。
でも、坂本龍馬、こんな言葉残してないんですよ。坂本龍馬は筆まめな人物で、書簡などたくさん残していますし、坂本龍馬とかかわったと称する人たちの回顧録などもたくさんあるんですが、これ、ないんですよね……と、思って大学生の頃、気になっていろいろ調べたことがあります。
ちょうど、『巨人の星』が連載される数年前から、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が「産経新聞」に連載されて(1962年~66年)爆発的人気となり(1963年には単行本発刊、74年から文庫化)、司馬遼太郎の創作上の「坂本竜馬」が国民的英雄となりました。
Humanと竜馬を合わせて『巨人の星』の主人公の名を「飛雄馬」と名づけたのだ、という俗説も登場します。
一人歩きを始めた「憧れの龍馬像」
謎の格言は孟子のインスパイア?
ですから梶原一騎さんもこのセリフを司馬の『竜馬がゆく』からとったのかな、と思いきや、全8巻の文庫本のどこにもこのセリフはありません。どうやら『竜馬がゆく』の中で紹介されている「志士ハ溝壑ニ存ルヲ忘レズ」という言葉を梶原先生なりに解釈されて創作された言葉なのか、と思いました。
すばらしい意訳だとは思うのですが、「志士ハ溝壑ニ存ルヲ忘レズ」は坂本龍馬の言葉ではなく、『孟子』の中の言葉で、吉田松陰が『講孟箚記』の中で語ったものでした(第17場8月21日滕文公下)。