
一流の選手が集結して挑んだ2023年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。見事世界一を勝ち取った選手たちは“我”を手放し、試合に臨んでいたという。野球と禅の意外な共通点について、栗山英樹監督と臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺氏が語り合う。※本稿は、栗山英樹、横田南嶺『運を味方にする人の生き方』(致知出版社)の一部を抜粋・編集したものです。
名将・栗山英樹氏がWBCで
“決断に迷った瞬間”とは
横田 監督として特に印象に残っている場面というのはありますか?
栗山 まあ、どの試合も結構修羅場ではあったんですけれど、決断に迷ったのは2度ありました。1つは、準決勝のメキシコ戦で3対3の同点になって日本のエースである山本由伸をマウンドから下ろしたときです。そこまでたった2本しかヒットを打たれていないエースを代えるべきかどうか、一瞬ですが、迷いました。
そこで決断して山本由伸から阪神の湯浅京己にピッチャーを交代したのですが、ランナー一、三塁という場面でメキシコの一塁走者に盗塁されました。湯浅をマウンドに送り出すときに、ブルペン担当の厚澤和幸コーチが「走られてもいいから足を上げていい球を投げろ」と言っていたんですよ。そして湯浅は思い切って足を上げて投げた。普通、そういう指示って監督の許可がないと怖くてできないんです。裏目に出たときに批判の的になっちゃうので。
でも厚澤コーチは、監督とは以心伝心で、確認をせずともきっとこの決断を納得してもらえるだろう、僕に言ったら絶対OKを出すと思ったのでしょうね。そういう信頼関係の中で決断して、自らの責任でそう言ったわけです。そのシーンで勝った負けたではないんですけれど、みんなが勝つためにそれぞれの立場で勝負をしてくれていたんです。そういうことがたくさんありました。