曹洞宗の宗祖・道元が開いた永平寺の修行の厳しさは有名です。さまざまな厄介な決まりがたくさんあって、その中で私がいちばん辛かったのは「食事中、一言も声を発してはいけない」という禁止事項でした。
食堂では、食事の前に「五観の偈(げ)」を唱えます。
一つには功の多少を計り 彼の来処を量る
二つには己が徳行の 全欠を忖って供に応ず
三つには心を防ぎ過を離るることは 食等を宗とす
四つには正に良薬を事とするは 形枯を療ぜんが為なり
五つには成道の為の故に 今此の食を受く
みんなで唱え終わったら食事。最初、たくあんをパリッと噛んだだけで指導役のお坊さんにぐっとにらまれました。とにかく音を立てちゃいけない。もちろん、食事中に言葉を発しちゃいけない。これがすごく大変でした。そういう記憶があるものですから、「なるほど、禅宗というのは厳しいもんだな」と、ずっと思っていたのです。
しかしそのあと、中国広東省にある南宗禅の発祥の地・南華寺を訪ねて、禅宗の印象が変わりました。南宗禅は道元の禅のルーツと言われています。南華寺には南宗禅の祖・慧能(えのう)のミイラも祀られています。
南華寺の食堂では、僧たちがわりとしゃべりながら、がやがやと食べていました。禅堂では、みんなうちわのようなものを持って、あおぎながら坐禅を組んでいた。
それで鐘が鳴ると、僧たちはしゃべりながら、それぞれ勝手に禅堂を出ていく。
「日本の禅寺では食事の前に偈というものを唱えるんですが、ここはやらないんですか」と尋ねたら、気楽な調子で「いや、こころの中で唱えていますから」と。
同じ禅宗でもこんなに違うのかと、ちょっとびっくりしました。
そのあと、京都にある黄檗宗(おうばくしゅう)の大本山・萬福寺に行ったときにも驚きがありました。ここは江戸時代初めに来日した中国人僧、隠元が開いた禅寺です。
取材が終わったあと、お寺の名物の「普茶(ふちゃ)料理」を出してくれて、若い修行僧も交えた偉いお坊さんとの食事会になりました。それで食事の前に「永平寺では声を発してはいけないと言われたり、いろいろ大変でした。ですから、このお寺の食事のマナーを最初にうかがっておきます」と伝えました。そうしたら「和気あいあいです、もう自由にやってください」と。