2年後、ヴァルミアに戻ると、そこで司祭兼医師として生涯を送ります。多忙な仕事の傍ら、天体観測を行い、自身の考えを1本の論文にまとめたのです。
コペルニクスは、この“異端の発想”を生涯発表するつもりはありませんでしたが、晩年、唯一の弟子の勧めで出版を決意します。
しかし校正作業中に脳卒中で倒れ、仕上がった校正刷りが手元へ届けられたのは、亡くなる当日だったと言われています。
こうして『天体の回転について』は発表されました。コペルニクスが唱える地動説が、当時の宇宙研究に大きな足跡を残し、そして私たちが暮らす現代の宇宙科学にまで影響を与えてしまうとは、本人も予測していたでしょうか。
コペルニクスの出発点も
「信仰心」だった
――以上が「かつて奇書」であった書物、『天体の回転について』に関する紹介です。
先程、聖書の記述が天動説を補強したと言いましたが、当時において科学と宗教は単純な二項対立関係にあったのではありません。
神の創った世界の理を「より深く知ろう」という試みは、信仰の発露です。
事実、トマス・アクィナス(中世ヨーロッパ、イタリアの神学者、哲学者)をはじめとするスコラ派(11世紀以降に主として西方教会のキリスト教神学者・哲学者などの学者たちによって確立された学問のスタイル)の人々は「自然哲学」という、自然の摂理を解明する学問を、神学の一環として行っていました。
しかし、彼らの「自然哲学」と、近代的な「科学」との間には大きな壁があります。それを顕著に表すのが、次の聖書の言葉に対する解釈でしょう。
「マタイによる福音書(4.7)」
『新約聖書』(1954年訳、日本聖書協会)より引用
この、「試みてはならない」という言葉は、聖書の記述をはじめとする、過去の権威ある文献に対する絶対的な信仰という形で現れました。そのため当時の学者たちは、それらの文章を論理的に組み合わせて新たな法則を知ろうとしていました。