一方で、コペルニクスのモデルは、形だけ見れば単純な同心天球モデルに近く、「計算の利便性」という点でプトレマイオスのモデルよりも優れています。

 ただし欠点もありました。コペルニクスは惑星の軌道を真円とみなして計算を行ってしまったため、実測値とのズレはむしろプトレマイオスモデルよりも大きかったのです。

“異端”の天文学者
コペルニクスとは何者か

 ニコラウス・コペルニクスは1473年、現在のポーランドにあるトルンという町で生まれました。コペルニクスという姓はポーランド語で「銅屋」を意味し、その名のとおり父親は銅を扱って財産を築いた裕福な商人でした。

 ポーランド最古の大学であるクラクフ大学でリベラル・アーツ(自由七科。文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)を学ぶ傍ら、天文学者アルベルト・ブルゼフスキに師事します。

 その後学位を取らずに中退すると、司教であった叔父の勧めで教会法の学生としてボローニャ大学に入学。そこで恩師となる天文学者ドメーニコ・マリーア・ノヴァーラ・ダ・フェッラーラの弟子となります。

 フェッラーラは、プトレマイオスの宇宙モデルに懐疑的だった学者の1人で、コペルニクスにも大きな影響を与えました。

 卒業後は、叔父の後押しでフロムボルクのヴァルミアの聖堂参事会員(聖堂の管理運営を行う司教ではない役職者。高給)になると、その後再びイタリアへ留学し、パドヴァ大学で医学を修めます。

 医者にとって不可欠な技術である「占星術」を学びました。(当時の自然哲学において、天体上で起きる事象に対して地上で起きる事象が対応するという大前提があった。人体を小宇宙と捉え、天体との相関を見ることで健康状態に説明をつけていた。)