そしてまた、現在「コペルニクス的転回」と呼ばれ、キリスト教の支配から脱するきっかけのような文脈で語られる「地動説」も、実のところコペルニクスにとっての信仰の一側面でもありました。

 コペルニクスの「太陽中心説」は、「神が完璧を期してこの宇宙を創られたのであれば、その宇宙を照らすランプは部屋の中心に据えるのが最も効率的である」というある種の信仰が発端だったのです。

 そういった意味では、コペルニクスの説も神から卒業したと言うには程遠く、天体は依然として信仰という“分厚い天蓋(てんがい)”で覆われたままでした。

「信仰」の拠り所が変われど
「神」から卒業できない人類

 先にも述べましたが、(現代において「科学以前」とされる)かつての「神学」は、聖書や過去の内容を絶対とし、そこから個別の理論を導き出す、という手法によって研究されていました。

 その行いを現代でたとえるならば、「Wikipedia」の内容を丸ごと信じてレポートを仕上げることに近いものがあります。

 かく言う私も、現在ある種々の資料を“信じて”この記事を書き上げたわけです。権威や、自身の主義主張に沿った物語をつい信じたくなるというのは、いつの時代においても人間の基本機能なのかもしれません。

コペルニクス『天体の回転について』に編集者が「勝手に書き足した」一文とは?『奇書の世界史』(三崎 律日 KADOKAWA)

 そしてそれが基本機能であるということは、それが「生存に有利をもたらす機能」だった(時期がある)ことも意味します。

 あるいは、人類は依然として「信仰」の拠り所が変わっただけで、「神」から卒業できずにいるのかもしれません。

 あなたは「神」を信じますか?