聖書が「天動説」の
正しさを保証していた
天動説が支持されたのにはもう1つ理由があります。実験に基づく経験主義的科学が生まれる以前の時代には、世界を知るための試みはほぼすべて演繹(えんえき)的手法によって行われていました。
これは、絶対不変の「公理」がまずあり、それらを解きほぐし、組み合わせることで新たな個別の法則を導き出そうという手法です。
この場合の「公理」とは、たとえば聖書の記述であったり、古代ギリシャの偉大な哲学者の言葉など、その時代において権威を誇った文献を指します。
たとえば天動説を支持する根拠としてよく挙げられる聖書の記述に次のようなものがあります。
「マタイによる福音書(24.29)」
『新約聖書』(1954年訳、日本聖書協会)より引用
あなたは地をその基の上にすえて、とこしえに動くことのないようにされた。
「詩篇(104.5)」
『旧約聖書』(1955年訳、日本聖書協会)より引用
現代から見ればただの比喩とも取れる言葉ですが、この時代においてはそうではありません。
聖書に記された言葉は「一字一句誤りがない事実である」というのがまず前提であり、その土俵に立って初めて自然哲学や物理学についての議論を始めることができたのです。
その世界観の中では「地球は太陽の周りを猛スピードで回っている」という主張は、土俵に上ることすらできなかったのです。
そのため、『天体の回転について』の編集に携わったルター派の神学者アンドレアス・オシアンダーはコペルニクスの身を案じ、前置きとして次のような要旨の一文を勝手に挿入しています。
地球の周りをめぐる惑星が、さらに周転円を描くというプトレマイオスのモデルは、非常に複雑な計算を必要としました。