自動車会議所の設立は1946年(昭和21年)6月のこと。その前年の45年11月には、自動車会議所の前身となる「自動車協議会」が発足しており、この自動車協議会の発起人の一人として奔走したのが豊田喜一郎氏だったのだ。豊田喜一郎氏は、自動車会議所の初代会長にも就任している。
戦後間もない時期から日本の自動車産業への情熱を持って立ち上がった豊田喜一郎氏。祖父が尽力した自動車会議所は、豊田章男会長にとっても大きな意味を持つ。
かつて筆者は、章男氏の父である故豊田章一郎氏から自動車会議所についてこんな話を聞いたことがある。
「私が小さい頃に親父(喜一郎氏)が東京・丸の内の岸本ビルに連れて行ってくれてね。そこは自動車会議所があってサロン的な感じで良かった。だから、そんな自動車会館を作りたいんだ」
豊田章一郎氏は、その後、自動車会議所会長時代の2004年に念願の自動車会館を東京・芝大門に開設した。今回の豊田章男氏の会長就任で、豊田家3代にわたり自動車会議所のリーダーを務めることになるというわけだ。
実は、筆者は昨年から「自動車会議所の次期会長に豊田章男氏が就任する」という見方を強めていた。自動車業界全体が豊田章男氏のリーダーシップに期待しており、章男氏にとっても自動車会議所会長はある種“悲願”ともいえるポジションだったからだ。
また、トヨタが6月12日に予定する株主総会で、現自動車会議所会長である内山田竹志エグゼクティブフェロー(トヨタ相談役に就任予定)が退任することや、昨年6月にトヨタ渉外広報本部の島﨑豊氏が自動車会議所の専務理事に就任したことなど、数々の布石も打たれていた。
さらに、経団連で副会長のほか審議会副議長を務めてきた早川茂トヨタ副会長(12日の株主総会で退任予定)が5月の経団連総会で退任して、代わりに佐藤恒治トヨタ社長が副会長に就任したことも、経団連への引き合いが強かった豊田章男氏の自動車会議所会長就任につながった。