スキャンダルでも「許される人」と「叩かれる人」の決定的な違い写真はイメージです Photo:PIXTA

「猛烈に糾弾される人」と「なんとなく許されてしまう人」

 ビジネスや政治、芸能の世界では、不倫やパワハラ、差別的言動など、さまざまな不祥事が日々報じられている。しかし、注意深く観察すると、似たような問題行動であっても「猛烈に糾弾される人」と「なんとなく許されてしまう人」がいることに気づく。

 たとえば、ある政治家がスキャンダルを報じられると、それが連日ワイドショーで取り上げられ、辞職に追い込まれる。一方で、同様の問題を起こした別の著名人は、軽い謝罪のあと、拍子抜けするほど簡単に復帰していたりする。

 この「差」はいったい何に由来するのか。人間の心理、報道構造、そして社会的な力学という3点から考えてみよう。

「裏切られた」と思うと、叩きたくなる心理

 まずは情報の受け手――私たちの側(世論)の心理構造に注目したい。

 誰かのスキャンダルを知ったとき、猛烈な怒りを感じてSNSでシェアしたくなる場合と、どこかで「まあいいんじゃないか」と流してしまう場合がある。そこには条件の違いがある。

 怒りが爆発するケースでは、対象となる人物が普段から、言うなれば、「清廉潔白」を売りにしていることが多い。

 たとえば、誠実で正義感あふれるイメージで社会的信頼を得ていた政治家や弁護士が、それを裏切るような行動を取った場合、人々の怒りは一気に高まる。また、スキャンダルの関係者の中に被害者が明確に存在し、その人物が弱者であるなど、共感を呼びやすい構図であるほど、怒りは強化されやすい。

 さらに、写真や動画、LINEなど、証拠が生々しく具体的である場合には、そのリアリティによって人々の感情がより刺激される。加えて、加害者が謝罪や反省の姿勢を見せず、むしろ居直るような態度を取れば、世論はより強硬な批判へと傾く。

 類似の問題を繰り返していたり、組織ぐるみでの隠蔽が疑われたりする場合も、怒りの規模は大きく、持続時間は長くなりがちである。