報道の抑制が行われて、過熱しない場合もある

 一方で、報道そのものが過熱しないように抑えられるケースもある。

 たとえば、スポンサーや支援者に強大な影響力がある場合、メディアは報道に慎重になる傾向がある。また、芸能界や政治の世界などでメディアと対象者の間に共依存関係が築かれている場合には、「報じない自由」が行使されやすい。

 さらに、スキャンダルが発覚しても当人が一貫してコメントを出さず、沈黙を貫くことで、報道が広がる「燃料」を供給しない戦略も有効に働く場合がある。関係者が一斉に沈黙を保ち、情報が拡散しない状況が続けば、報道は瞬発力を失う。

 また、対象者があまりにも巨大な存在である場合には、メディア側に忖度や自粛が働きやすくなる。

 このような抑制力は、かつての芸能界や財界においてしばしば見られた。

「あの件は報道できない」「あの人物には触れない」という“空気”が一定範囲に共有されていれば、スキャンダルは炎上しない。

 しかし、その“空気”が一度壊れると、ダムが決壊するように一気に報道が過熱する。

 旧ジャニーズ事務所の性加害問題はその典型だ。大手メディアは週刊文春の報道を「スルー」していたが、英国・BBCの外部告発を契機に解禁され、当該事務所への批判はむろんのこと、事務所に「忖度」し背を向けてきたメディアの責任までもが大きく問われる結果となった。

なぜ「海外で評価された人」には甘くなるのか

 日本では、「海外で成功した人物」に対して、メディアも世論も非常に甘くなる傾向がある。これは「外の世界で認められた=正しい」という無意識の権威主義と、心の奥底にある「欧米至上主義」、「島国根性」や劣等感の裏返しでもあろう。

 たとえば世界的に名高い海外の賞を受けた俳優などに対しては、多少の問題行動があっても「まあ、そのくらいはいいんじゃないか」「海外ではこれくらい普通」「私生活を取りざたするのは野暮」という寛容な姿勢がとられがちだ。

 これはモラル・アウトレイジの逆で、「批判することで自分が“恥ずかしい日本人”になってしまう」ことを回避する心理とも言える。

 では、仮に、今、世界で大活躍している日本人スポーツ選手に不倫報道が出たらどうなるだろうか(誰なのかは読者それぞれで自由に想像してほしい)。