「ダメ男」「ダメ女」は許されやすい?
一方で、世間が「まあいいか」と「大目に見る」のは、対象人物の持つキャラクターや物語性が作用しているケースが多い。
たとえば、もともと好感度が高く、コミカルで憎めない印象を世間に与えている人物のスキャンダルは、受け止め方が緩やかになる傾向がある。特にダメ男(女)だと許されやすいように思う。
また、過去に社会的な貢献をしていたり、自らも被害者的立場に立つ側面があったりする人物は、一定の同情や“恩赦”的感情を得やすい。
スキャンダルが「ずいぶん昔の話」として報じられた場合、過去のこととして受け流されたり、すでに十分な「罰」を受けていると解釈されたりする傾向もある。
あるいは、問題行動であっても、恋愛や離婚といった私生活の一部と認識されれば、「公的に裁くべきではない」と考える空気が醸成されやすい。また、その人物が属している業界やジャンルが世間の関心から遠い場合、問題自体がさして注目されないこともある。
自分には関係ないのに…モラル・アウトレイジの構造
盛大にバッシングされるような前者のような例は、心理学では「モラル・アウトレイジ(道徳的憤怒)」と呼ぶ。
モラル・アウトレイジとは、「自分が直接の当事者でないにもかかわらず、他人の不道徳な行為に対して怒りや嫌悪、非難の感情を持つこと」を指す。これは、正義感、共感、そして“自らの道徳性の表現”として生じるものであり、とくにSNS時代にはこの怒りが非常に拡散・増幅しやすくなっている。
怒りがわきやすいのは、被害者が明確であったり、加害者が普段「正義」や「清廉」を装っていたりする場合である。人々はその裏切りに強く反応し、「これは許してはならない」という感情に傾くのだ。
また、モラル・アウトレイジは“社会的演技”でもある。
他者の不祥事に怒ることで、スキャンダルを起こした人物ではなく、それを評する「私」自身が、「正義の側にいる」「道徳的である」とアピールできるのだ。SNSで怒りの言葉が共有されやすいのは、まさにこの“道徳的優越の演出”の一種と考えられる。