人は恐怖を前にすると、普段では予想できないような行動をとってしまうことがあります。それも命に関わるような恐怖を前にすればなおさらです。そんなときに本能的に自分を守る行動をとってしまうことは、よっぽど強靱な精神力を持った豪傑でもない限りなかなか避けられないことです。しかしイエスはむしろ、ペテロがそんな豪傑ではなかったからこそ、彼を12人の使徒の1人に任命し、しかもその中でも筆頭としていつも自分のそばに置き、そして「天の扉の鍵を君に預けるね」と教会を立ち上げる権威を与えたんです。
イエスの使徒たちに
エリートがいない理由
このペテロという名前は「石」という意味なのですが、これは彼の本名ではなく、イエスが彼につけたニックネームです。彼の本名はシモンといいましたが「教会の、石のように固い土台となるように」との願いをこめて、このペテロという名をつけられたのでした。
ペテロ以外の使徒たちもみんな、誰一人「立派な」人物はいません。全員がそれぞれ癖の強い弱点を人一倍持ち、そしてイエスから逃げました。でもイエスは、だからこそ彼らを選んだんです。もし使徒たちがみんな「立派で、意志が強くて、賢くて……」というエリートばかりだったら、彼らが立ち上げる教会は「立派で、意志が強くて、賢くて……」というエリートばかりの場所になってしまったことでしょう。それはつまり「立派で、意志が強くて、賢くて……」というエリートでなければ神の救いは得られないということです。
そんな救いをイエスは望みませんでした。イエスが救いたいのは「弱くて愚かで情けない」人たちです。「弱くて愚かで情けない」僕たちです。僕たちは「弱くて愚かで情けない」のに救われるのではないんです。「弱くて愚かで情けない」からこそ救われるんです。だからこそイエスは「弱くて愚かで情けない」ペテロや使徒たちに、教会の土台を作らせたんです。