選挙民が求める
リーダーはイエス?ユダ?
イエスは「人間が幸せに生きる方法」を伝えようとしていたのに対し、ユダは「人間の一時的な幸せ」を求めていたんです。「貧しさを解消してくれ!」と求めるユダに対し、イエスは「貧しくても人間は幸せになれる」と言うのですから、両者がすれ違うのも無理はありません。
現代を生きる多くの方は、実はユダ型の価値観で生きているのではないでしょうか。「遠い未来の理想を語るよりも、今、目の前の現実を何とかしてくれ」と思う方は多いのではないでしょうか。
僕だってそうです。政治家さんたちが「未来のための投資!」なんて言っても、「いやいや、今の世のためにもっと予算を使ってくれよ」って思ってしまいます。そしてそれは必ずしも悪いことではありません。むしろ「地に足のついた」生き方・考え方と肯定されることさえあるかもしれません。
「貧しい者は幸いだ」なんてイエスみたいなことを政治家さんたちが言い出したら大バッシングを受けるでしょうし、それが総理大臣だったりしたら政権がひっくり返るかもしれません。しかし、だからといって本当に「今、目の前の現実」を良くするためだけの政治を政治家さんがやってしまったら、未来は大変なことになります。実際に、現代日本はそのような「今、目の前の現実」だけに振り回された過去の政治のツケを支払わされているのかもしれません。
「未来のため」の視点がなくては、やがて「今、目の前の現実」も立ち行かなくなるんです。だって未来はいつか必ず「目の前の現実」になるものですから。
「ちょっとこらしめたい」心理が
破壊的な結果を招くことも
ちなみに実は、ユダは銀貨と引き換えにイエスの居場所をローマ兵に教えたとき、まさかイエスが死刑になるなんて思っていなかったようです。せいぜい役人に怒られたり、悪くても何発か鞭で打たれるくらいのことだろうと、ユダはタカをくくっていたんです。