つまり、彼らにとって自らの専門分野の有用性の否定は、自らの研究業績の有用性の否定を意味しており、容易に受け入れることはできないものなのである。「我々の専門分野が不必要だなどと言うことは、我々の存在意義にかかわるものであり認められない」というわけだ。
こうして最悪の場合、教授会や学会、各地の研究会やさまざまな大学の会合で、大学教員が互いに他の研究分野を見下すかのような発言を行い、結果、今にも掴みかかって殴り合うのではないか、という危ういシーンさえ生まれることになる。
そして、異なる専門分野を持つ大学教員が互いに相手を見下し、険悪な関係が生まれる理由がもう1つある。それは大学教員の世界における専門分野がきわめて狭い、ということだ。

たとえば、民法の専門家でも民法の全てを専門にしている人はいないし、韓国政治を研究していることになっている筆者とて、韓国政治の全てをカバーしているわけではない。
ましてや異なる分野の研究についてわかるはずなどない。にもかかわらず、ときに大学教員は自らの専門分野の基準を、まったく異なる専門分野に当てはめて、相手を判断しようと考える。
互いの専門を尊重し、成果を生かし合う環境が作れなければ、大学が教員にとって好ましい職場になることはない、と思うのだが、いかがだろうか。