それでは、大学教員はなぜときに激しく戦うのだろうか。もちろん、1つの理由は予算削減が続く今日の大学で、自らの研究・教育分野に近いポストを確保するためだ。

 ポストが確保できなければ、自らの教え子や母校の後輩を就職させることができず、教員がいなくなれば彼らが教えてきた専門分野がその大学から消滅してしまうことにすらなりかねない。だからこそ、ポスト争いは人と人の争いである以上に、異なる専門分野間の争いなのである。

 しかし、どうして大学教員にとって自らの専門分野はそんなに重要なのだろうか。結論からいえば、それは彼らが自らの専門分野には、大きな社会的価値がある、と信じているからである。

 筆者が専門とする政治学の分野を例にとれば、最近隆盛を誇っている分野に、数量的データを用いて特定の政治現象の因果効果を計測する研究がある。

 彼らはそれがこれまできわめて曖昧にしか議論されてこなかった、政治現象の原因をシャープに突き止めることのできる手法であり、ゆえに大きな価値がある、と信じており、実際それはその通りだろう。

 他方、これとはまったく異なるものとして、同じ政治学でも、政治の現場で現在、そして過去に何が起こったのか、起こっているのかを克明に調査し、記述するタイプの研究もある。このような研究を行っている人々は、現象の原因よりも、そもそもどんな現象が起こっているかに興味があり、それを記録しておくことこそが重要だと思っている。

自分の椅子を守るために
他人の学問を平気で貶める

 当然のことながら、優れた因果効果の研究の背後には、優れた事実にかかわる情報が必要であり、本来なら両者の研究は補いあって進むべきである。

 しかしながら、ポスト削減が続く今の大学では、さまざまな政治分野に関わる研究を行う人々を幅広く雇用することは次第に困難になっている。

 だから、ここで不幸な出来事が起こる。研究者は自らが学んできた研究手法や専門分野に意義があると信じてきた人々であり、またその手法でその分野において行った研究成果が評価されたことにより今の地位に上り詰めた人々である。