マネジメントの定義には諸説ありますが、「組織長たる管理職に与えられた組織・チームの責任を、部下に『目標』という形で分け与え、その達成をサポートし、その過程において部下の成長とエンゲージメントを向上させ、永続的な成長を実現するチームをつくる」。これがマネジメントの本質だと私は考えます。

 しかし、この本質に準じたマネジメントがおこなわれているケースは極めてまれではないでしょうか。

 定義が曖昧なまま、形だけは求められる。しかし、プレイヤーとしての仕事は減らない。おまけにそれ以前と比べて、格段に処遇が良くなるわけでもない。マネジャーにとっては「なんだ、これでは割に合わないじゃないか」と期待外れに終わってしまっています。その結果として生まれたのが「管理職は罰ゲーム」という言葉なのでしょう。

 日本の企業がこのような状況に陥ってしまったのには、おもに2つの原因があると考えます。

 ひとつは、日本企業のマネジメントが、人を資源として捉え、会社として効率よく分配・配置していくという「リソース・アロケーション(経営資源配分)」を最優先していることです。

 会社にとって、人は事業をおこなうために必要な「リソース」のひとつと捉えられている。そこでは、人が主体ではなく、会社が主体なのです。

 だから欠員が出たりしたら「この部署に1人余っているから動かそう」という発想で、人をコマのように動かし、人事異動をおこなってきた。そこには、人の成長やエンゲージメントで事業を成長させようとする中長期的な戦略などはありません。

昭和型マネジメントでは通じない
Z世代との価値観ギャップ

 ときどき「社員の成長を図るためにも定期人事異動が必要」という名目で、ローテーションで人事異動をおこなう会社がありますが、それも私から言わせれば、全く後付けのお題目です。

「適材適所」などと言いますが、社員の自己実現意欲や成長実感を無視しての言葉であれば、これほど会社都合に立った言葉はないでしょう。