ALSOK創業者が首相に直訴!日本にも諜報機関が必要な理由「弱いウサギには大きな耳がある」写真はイメージです Photo:PIXTA

「日本にもCIAのような情報機関が必要だ」と自分が吉田茂元首相に進言したと語るのは、のちにALSOKを立ち上げた村井順。だが、アメリカのスパイ組織が関わっていたという説もあり、1971年には『週刊文春』がその裏側を報道。村井はすぐさま反論文書を出し、真っ向から否定した。内閣情報調査室(内調)の生みの親は誰なのか?※本稿は、岸 俊光『内調――内閣情報機構に見る日本型インテリジェンス』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。

情報機関の創設を吉田茂に
進言したALSOK村井順

 官界を去り、綜合警備保障の社長となっていた1970(昭和45)年、村井(編集部注/村井順。この当時は国家地方警察本部警備部警備課長。内閣総理大臣官房調査室〔現・内閣情報調査室〕の初代室長を経て、綜合警備保障=ALSOKを創業)は『政界往来』5月号に「内閣調査室の思い出」と題する手記を発表した。

「神格化された創設時代の真相」を書いておいてほしい、という内調の後輩職員の求めに応じた形になっている。

 それによると、内調の設置に向けて村井が動いたのは、独立(編集部注/サンフランシスコ講和条約が発効する1952年4月28日まで、日本はGHQの占領下にあった)を約20日後に控えた1952(昭和27)年4月初め頃のことだったという。当時の模様を次のように綴っている。

 首相官邸に出向き、吉田首相(編集部注/吉田茂)に面会して、内閣直属の情報機関を設置する構想を単刀直入に進言した。

「近く日本も独立します。今までは占領軍の判断なり方針に従って政治をやってきたが、独立国となった以上は日本が自から情報を集め、自から判断し、日本の進路を決めて行かなければなりません」、「私の考えている情報機関とは、内外のあらゆる情報や資料を集め、これを分析し検討して正しい判断を下す。そしてそれを政府の施策に資するというものです」。