Z機関(Zユニット)とは、世間で言い伝えられた「キャノン機関」の正式名称である。以下、延禎の手になるキャノンの証言の要点を紹介しよう。
G2のボスであるウィロビー少将から延禎に電話がかかってきたのは、内閣総理大臣官房調査室が新設される約3ヵ月前の1952年1月のことだった。
「キャノンといっしょに、大磯の吉田茂の邸に行ってくれ」。ウィロビーは、吉田が2人に会いたがっているような口調だったという。
吉田茂はキャノンに
日本の進むべき道をたずねた
1948年10月、民主党の芦田均内閣が昭和電工への復興金融金庫融資をめぐる事件で総辞職していた。昭電疑獄事件の背後にはGHQ内の民政局(GS)とG2の暗闘があり、自由党の吉田がG2のウィロビーと通じていることも、キャノンらはよく承知していた。
2人に会った吉田はこう告げたという。
「いまの日本はこんな状態ではダメだと思っている。これから徹底的につくり直さなければいけない。……その大改造、再建のためには、たとえ小さくてもよいから情報機構のようなものが是非とも必要だと考えている。ウィロビー少将に相談したら、あなたがたがその方面に詳しいというので、わざわざご足労いただいたわけです」、「わたしには、その方面の知識はまったくありません。しかし、わたしの友人で、追放解除になったばかりの男に、緒方竹虎という人物がいます。かれは戦争中に、情報局総裁をつとめたこともある人間だから、あなたがたの話を聞いても、十分に理解できるでしょう。ぜひ、かれに会ってください」
2人は横浜のCIC(対敵防諜部隊)に立ち寄った後、その足で国会議事堂近くの事務所に緒方を訪ねた。
そして「情報機関というものを、いまの日本につくるとすれば、どういう形がいちばん良いでしょうか?」という緒方の質問に、CIAや英国のMI5、MI6のことを話した。「CIAは大統領直属の機関であるし、MI5もMI6も首相に直轄されている。……だから日本でも内閣に直属する機関をつくったらいかがでしょうか?」と助言したのである。