続いて、「兎の耳はなぜ長いか」という得意のたとえ話でたたみかけた。

「弱い兎が野や山で生き抜くためにはどんな小さな音でもキャッチして逸早く身の安全を守らなければなりません。そのために大きな耳を持っていると思います。敗戦で弱い国になった日本も、情報活動を強化し、世界の動向を早く正しく知らねばならないと思います」と。

吉田茂と緒方竹虎が
米スパイ機関と秘密裏に接触

 戦後の内閣情報機構については、長年引用されてきたもう1つの証言がある。

 吉田茂首相が1952(昭和27)年1月にGHQ参謀第2部(G2)直属の秘密諜報組織を率いるキャノン中佐(編集部注/ジャック・キャノン。在日本アメリカ情報機関の一部隊「キャノン機関」を率いて対敵スパイ工作の任に就く)とその片腕の延禎に会い、緒方竹虎(編集部注/元朝日新聞主筆。吉田茂内閣の国務大臣兼官房長官に起用され、情報機関構想を提唱)のところに行くよう頼んで、緒方が2人に情報機関の設置について助言を求めたというものだ。

 延は韓国海軍出身で、G2の部長だった米陸軍のウィロビー少将が、米陸軍少佐という仮階級を与え、連合軍の情報官として行動できるようにしたのだという。

 この証言は『週刊文春』1971年7月19日号に「キャノン機関からの証言」として掲載された。延禎が18年ぶりにキャノンと米国で再会し、その証言をまとめる形で、1971年3月から9月まで同誌に連載されたうちの1回である(加筆修正して番町書房から『キャノン機関からの証言』として1973年に単行本化)。

 のちに出版された単行本では、「吉田首相と会うーー内調誕生の真相」という一節が、『週刊文春』に掲載された「Z機関、ひそかに緒方竹虎に協力」の前触れとして加筆されている。