気が付くと、スワは川底にいました。

 ふと、両脚をのばしたら、すすと前へ音もなく進んだ。鼻がしらがあやうく岸の岩角へぶっつかろうとした。

 大蛇!
 
 大蛇になってしまったのだと思った。うれしいな、もう小屋へ帰れないのだ、とひとりごとを言って口ひげを大きくうごかした。
 
 小さな鮒であったのである。ただ口をぱくぱくとやって鼻さきの疣をうごめかしただけのことであったのに。
 
 鮒は滝壺のちかくの淵をあちこちと泳ぎまわった。胸鰭をぴらぴらさせて水面へ浮んで来たかと思うと、つと尾鰭をつよく振って底深くもぐりこんだ。
 
 水のなかの小えびを追っかけたり、岸辺の葦のしげみに隠れて見たり、岩角の苔をすすったりして遊んでいた。
 
 それから鮒はじっとうごかなくなった。時折、胸鰭をこまかくそよがせるだけである。なにか考えているらしかった。しばらくそうしていた。
 
 やがてからだをくねらせながらまっすぐに滝壺へむかって行った。たちまち、くるくると木の葉のように吸いこまれた。

(太宰治著『晩年』新潮文庫、2005年)

 やなせ先生の作品はどうでしょうか。
 
 母犬に育てられたライオンが、お母さんを忘れられず脱走し再会するものの、銃で撃たれてしまう『やさしいライオン』(フレーベル館)や、狼に育てられた羊が、親の仇討ちのために狼を殺してしまう『チリンのすず』(フレーベル館)と同様の作風ではないでしょうか。哀しみとメルヘンが共存している様子がよく分かります。

「難しいことを簡単に
表現する」ことの難しさ

 やなせ先生は、井伏鱒二の『厄除け詩集』からも強い影響を受けています。同詩集は読みやすいポエムが集められており、そのなかには「『さよなら』だけが人生だ」という有名なフレーズが登場する「歓酒」も掲載されています。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
(井伏鱒二著『厄除け詩集』講談社文芸文庫、1994年)

 父が遺した島崎藤村や三木露風の詩集を読んできたやなせ先生にとって、井伏鱒二の平明な詩は衝撃的だったようです。こんなに分かりやすく詩を書いてよいのだと、驚きを覚えるとともに理解します。