大東亜戦争後のある日、高雄で操業する台湾人漁師の網に頭蓋骨がかかった。それを祀ったところ豊漁となったので、村の祠(のちの保安堂)に神(海府大元帥)として祀った。この神はやがてお告げにより、第38号哨戒艇の艇長だと主張した。

 同艇は戦時中の1944年、台湾とフィリピンを隔てるバシー海峡で米軍の潜水艦によって撃沈されており、なるほど整合性が取れている。

 近年の調査により、その艇長の名前は熊本出身の高田又男海軍大尉と判明した。現在では、高田以下145名の乗組員全員も合祀(ごうし)されており、「台湾で唯一の大日本帝国軍艦の戦没者の英霊を祀る廟堂」と自称している。

 保安堂の由来にはさまざまな説があるものの、おおよそはこれで尽きている。日本に好意的な理由も納得だろう。なお、もともとは海に近い小港区に位置していたが、漁村の廃村にともなって現在地に移転され、2013年に現在の新廟が完成した。

 こういう事情から、廟のデザインは中国風に見えてそうではない。ちょうど隣に極彩色の典型的な廟が建っており、見比べることで違いがよくわかった。

台湾の友だった偉大な政治家に
われわれは感謝の心を示したい

 保安堂は青い瓦屋根に、装飾が少なく、相対的にシンプルな造りだった。この廟を飾っているのは、日本風のデザインの数々。正面には富士山と桜の絵があり、その下には注連縄らしきものがぶら下がり、菊の御紋や旭日旗が数多くあしらわれている。

 全体の印象は日本の寺院のようでもあり、神社のようでもあった。中華的なセンスと日本的な記号が奇妙に融合した。独特の建物だった。

 そして肝心の安倍像は、廟の向かって右側に静かに立っていた。

安倍元総理の銅像が台湾で聖地に!日の丸・旭日旗・菊の御紋…「親日」の熱量がハンパじゃなかった台湾、紅毛港保安堂の安倍晋三像(同書より転載)