このフロムの指摘にもあるように、人間の精神的発達には「いや」を言える反抗の経験が欠かせないものです。人間の成長過程において、通常は2度の反抗期があると言われていますが、私はこれが3度あると考えます。まずは2~3歳頃のイヤイヤ期、次に思春期のいわゆる反抗期、そして、これはあまり認識されていないことが多いのですが、成人してからある時期に乗り越えるべき「第三の反抗期」というものがあると私は考えています。

大人になるまでの反抗期で
人間が得ているものとは

 第一のイヤイヤ期は、初めての自我の表明であって、親が「食べなさい」と言っても「イヤ!」と言う。「じゃあ、食べなくていい!」と親が叱ると、これにも「イヤ!」と反発する。ヒステリックになった親が「じゃあ、どうしたいの!?」と言っても「イヤ!」と言って泣き出す始末。しかしこれは、子どもの「指図しないで」という意思表明なのです。つまり、食べるも食べないも、自分で決めたいということなのです。

 次の思春期の反抗は、無邪気に信じてきた親や教師などの大人たちや社会に対して、本人が成長してきたがゆえに、その言動不一致や理不尽さなどが見えてきて、いわば裏切られたように思ってしまい、噛みつきたくなることを指します。これは、やみくもに言われることを信じていた受動的状態からの脱皮であり成長の証なのです。

 しかし、この思春期の反抗は、その後自分が社会に出ていくところで、社会適応のために頓挫します。社会に受け入れてもらうためには、ただナイフのように鋭い批判的な自分ではダメだと考えるようになるのです。これは、社会性の獲得という意味において欠かせないプロセスではあるのですが、しかしここで挫折した「自分」というものが、このままで終わるわけにはいかない――そういうくすぶった心の熾火を本格的に燃やすのが、大人になってから生ずる「第三の反抗期」です。

 この「第三の反抗期」とは、受動的に産み落とされ、選ぶこともなく、ある成育環境の中で育てられ生きてこなければならなかった「受動的生」から独立して「能動的生」に抜け出すための実存的で深い闘いです。しかし実際には、多くの人たちはこれを経ることなく一生を終えるので、あまり語られることがなく、もっぱら宗教やスピリチュアルな文脈でしか触れられないものになっています。