そもそも、スマホ時代の哲学といっても、そんなもの急に始められるのかと思う人もいるでしょうが、広義の携帯電話についてはいろいろな研究があります。
目の前の人を待たせても
スマホの通知を優先してしまう
私がとても好きな研究者に、シェリー・タークルというMIT(マサチューセッツ工科大学)の心理学者がいるのですが、彼女は2011年に出された本で興味深いエピソードを紹介しています。
それほど前の話ではないが、私が教えている大学院生の1人が、ある体験を話してくれた。彼が友人とMITのキャンパスを歩いていたとき、その友人が携帯にかかってきた電話に出たというのだ。彼はそれが信じられなかったと言う。怒りをにじませた口調で、「彼は僕の話を保留にしたんですよ。どこまで話したか僕が覚えていて、彼の電話が終わったら、そこから始めろということですか?」と言った。当時は、彼の友人の行動は無礼で周囲を戸惑わせるものだった。だが、それからほんの2、3年で、それは当たり前の行動になった。(注1)
携帯電話が急速に普及した当時、対面での会話を保留して、モバイル端末で「ここにいない人間」の対応を優先することに当時の人は驚愕し、戸惑っていたということです。もう忘れて久しい感覚かもしれません。
タークルが警戒心を示すのは、画面の向こう側のやりとりや刺激を優先して、対面の関係性や会話を保留するという新しい行動様式をモバイル端末が可能にしたことです。
家で映画を観ていても、誰かと会ったり話したりしていても、テキストや電話、動画やスタンプ、ゲームやその他の様々な何かで中断してしまう。
つまり、複数のタスク(マルチタスク)と並行して、対面でのやりとりや行動を処理することに現代人は慣れてしまったのです。あるいは、対面・現実の活動も、「マルチタスキング」の1つとして組み込まれてしまうと言うべきでしょうか。並行処理すべきタスクの1つとして、現実の会話を捉える習慣がここにはあります。
注1 シェリー・タークル(渡会圭子訳)『つながっているのに孤独:人生を豊かにするはずのインターネットの正体』ダイヤモンド社、2018、288-289頁 読みやすさのために、引用の誤字を修正しました。ちなみに、2011年は原典の出版年です。