ジャカルタは雨期の真っ盛りだった。陽は1時間ほど前に沈み、海風がひんやり心地よい。独立記念広場から南へ車で数分。25階建てビルの最上階にレストラン「キリシマ」があった。

 オーナーの名は桐島正也(63)。東日貿易の元ジャカルタ支店長で、今はフロアの広さが1000平方メートルもあるこの日本レストランやゴルフ場などを経営する実業家だ。日に焼けた若々しい顔と、太く伸びやかな声がエネルギッシュな活動ぶりをうかがわせる。

「あれは昭和32年(1957年)ごろだった。僕がそれまで勤めていた鉱山会社を辞め、東京の銀座をふらふらしていたら、道でばったり久保さんと出くわした。『お前、今何もやってないのならおれの会社をちょっと手伝ってくれないか』と言うので『じゃあ、手伝いましょうか』となった。それが東日貿易に入ったきっかけだった。久保さんは輸入業務の分かる人間が欲しかったようだ」

 桐島はフロアの片隅のテーブルに腰を掛け、過去を懐かしむように目を細めながら語り出した。桐島は戦後、慶應大学を3年で中退した後、友人の父親が経営する鉱山会社に勤めた。そこで社長秘書を務める傍ら、外車販売も手掛け、東日貿易から買い付けた車を企業に売り込んでいたことがある。久保とはその時以来の付き合いである。

「僕が入った当時の東日はまだ社員が5、6人ぐらい。銀座の木造モルタル2階建ての事務所を借りて営業していた。久保さんというのは良くも悪くも非常に頭が良くて、性格の強い人でね。自分の思い通りに事が運ばないと社員をぶん殴る。まるで右翼の親玉みたいで、社員は皆いつも緊張していた。特に僕は怒られたけど、その一方で僕には相当目を掛けてもくれていた」

世話係を担った桐島が見た
スカルノ大統領の素顔

 桐島が東日貿易に入社した翌年の1958年2月、インドネシア共和国の初代大統領スカルノが戦後初めて非公式に来日することになった。戦後、旧宗主国オランダとの戦争を経て独立したインドネシアの政情はまだ不安定で、スカルノ暗殺を狙う共産ゲリラの一団が日本に送り込まれるという噂が流れていた。