「そこでママさんから『あの子どうですか』と引き合わされたのがデヴィさんだった。他の女の子は派手なドレス姿なのに、1人だけ地味な紫のとっくりセーターを着ていてね。この子はずいぶん真面目なのか、それとも全く売れないのか、どっちなのだろうと思った。きらびやかな赤坂のナイトクラブにはひどく場違いの感じがしたな」

 後のスカルノ大統領夫人デヴィとなる根本七保子。当時19歳だった。桐島はデヴィをスカルノの滞在先の帝国ホテルに車で送った。

『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』書影『沈黙のファイル 「瀬島龍三」とは何だったのか』共同通信社社会部編(朝日文庫)

「途中でデヴィさんから『どんな人なの』と聞かれ『ちょっと色の黒い人だよ』と答えた。帝国ホテルの前で彼女に新聞か何かを入れた茶色の封筒を持たせ(社用でホテルを訪ねたような格好をさせて)大統領の副官に引き継いだのを覚えている」

 スカルノはデヴィを一目で気に入り、帰国後間もなくインドネシアに呼んだ。デヴィは1959年10月、久保とともにジャカルタ入りした。桐島が久保にジャカルタ赴任を命じられたのはそれから数カ月後のことだ。

「久保さんは最初から東日の商売のためにデヴィさんを利用しようとしたわけじゃない。あの時、スカルノさんに頼まれて日本女性を紹介しただけで、だれでもよかった。それをたまたまスカルノさんがとても気に入ったので、久保さんがデヴィさんに現金500万円と等々力(東京都世田谷区)の100坪の土地を渡して、ジャカルタ行きを説得したんだ」