K-1のやや後発ながら多大な人気を集めたPRIDEは総合ルールで、どちらかが倒れてもダウンとならず試合が続行された。K-1よりかは見ごたえが実戦のケンカに近かったが、倒れてからのグラウンドポジションを巡る攻防も総合ルールならではの面白さであった。
ちなみに国内で行われた最大の格闘技イベントは2002年の、PRIDE主催でK-1との対抗戦がコンセプトの「Dynamite!」で、国立霞ヶ丘競技場で9万1000人超を集めたものであった。
栄華を極めたK-1とPRIDEが徐々に衰退していった理由は複合的である。
PRIDE解体(2007年)の原因でもっとも大きかったのは暴力団との癒着が問題視された件だと言われている。また、試合の「路上の殺し合いっぽい過激すぎるルール」を見て引く人もいたようで、視聴率が徐々に減って地上波から撤退する運びとなった。
同時期にアメリカの世界最高峰の総合格闘技団体UFCが人気を確立していた。こちらは総合ルールながらもPRIDEよりややスポーツ寄りに整備がされていて(PRIDEではオーケーだった、寝ている選手の頭部へのサッカーボールキックの禁止など)、PRIDEから人材の流出などもあったようである。
一方K-1は、ファイトマネーの高騰化などが相まって経営不振となったことに加え、地上波での放送も減少し、かつてほどのポップカルチャーぶりはなくなった。お茶の間一般向けのエンターテイメントから、格闘技ファンのためのスポーツとして落ち着いていったのである。
冬の時代から現代に至るまで
その後国内格闘技は「冬の時代」と呼ばれる期間に突入する。いくつもの団体が明滅する中、小規模ながら存続する団体もいくつかあった。2008年に元プロレスラーの前田日明が立ち上げたTHE OUTSIDERという総合格闘技の大会は「不良にリングを与えて更生の機会をと選手としての育成を」といったコンセプトを含んでいて、これが現在活躍する朝倉未来などを輩出することになる。