2000年代初めには、14歳の時から米国に留学していた「一人娘」馥莉氏が帰国し、本格的に後継者としてワハハに入社、父のもとで学び始めた。

 当時は1990年代の経済成長の熱気が冷めやらない頃であり、後継者の育成まで意識していた大企業はまだそれほど多くなかった。特に馥莉氏が若い女性ということもあり、「民族企業」を代表する宗父娘の姿は、多くの人々の目に深く焼きつけられたのである。

裁判を起こした3人以外にも子どもがいる!?

 その宗氏にいったいどこから3人もの子どもが現れたのか。人々の関心は訴訟や訴状の内容よりも、真っ先にそこに集中した。

 一斉に取材を開始したメディアは、あっさりと3人の母親の名前を実名で報道し始めた。

 彼女の名前は、杜建英氏。ワハハ関係者の間では知らぬ者はいないといわれる、宗氏の右腕だった女性である。1990年代初めのワハハ成長期に入社し、得意の英語でワハハの缶詰食品などの輸出業務に携わり、ワハハの飛躍を支えた人物だ。その後、雨後の筍のように増えたワハハ子会社複数の董事(取締役)にも名前を連ねていた。

 驚いたことに、ワハハ周辺関係者の中には、メディアの取材に対して、3人の母親が杜氏であることを証言するとともに、「宗氏には少なくとも7人の子どもがいる」と語った人もいたという。今回訴えを起こした3人はすでに成人しているが、この騒動と同時に、宗氏には2017年生まれの子どもがいると複数のメディアが伝えている。それらの子どもたちの母親もまた、ワハハの職員だったとされている。

「妻一人・娘一人・布靴一足」だったはずの宗氏に、婚外子が少なくとも3人、もしかすると7人以上いることが判明したのだ。