現在は、市ヶ谷で防衛省の敷地となっている場所に臨時の裁判所が作られた。連合国の11の国から一人ずつ11人の判事がやってきて、帝国ホテルに宿泊して裁判所に通い、喧々諤々の議論を戦わせて判決に至ったその内幕を描いている。私はチーフ・プロデューサーとしてこの番組の企画、制作、脚本を担った。

 日本だけが悪かったのか?という歴史認識、天皇は裁かなくてよいのか?植民地主義は是か非か?現地の残虐行為の責任を指導者たちに問えるのか?など、私が脚本を通じて提示した裁判の論点は多岐に渡る。     

 東京裁判を見つめることがそのまま「あの戦争」の主要な論点をカバーすることになる、と言えるほどだ。だからこそこの時期にぜひ見てほしいのだが、複層的なテーマ群の中でも、私たちが今まさに直面している最も大切なものがある。

 それは、戦争という行為そのものが果たして違法なのか、すなわち「人は戦争を裁けるのか」という問題だ。それこそが東京での11人の判事たちが2年半を通して格闘した根源的な問いだった。

 判事の中でも、インド代表のパル判事の名前は聞いたことがある、という人は多いだろう。判事たちの中の多数派が書いた裁判の公式判決に反対を貫き通し、なんと「被告全員が無罪」という少数意見書を公表した判事だ。

1966年に羽田空港で撮影されたインドのパル判事の写真1966年に羽田空港で撮影されたインドのパル判事の写真 Photo:KYODO

 ドラマでのパル判事には、その後惜しくも若くして亡くなったイルファン・カーンというインドを代表するハリウッド俳優を起用し、それは彼が脚本を読んでこの企画に賛同してくれたからだが、パル判事のキャスティングがこのドラマで最も大物の俳優だったのは、裁判でそれほど重要な問題提起をしたからだ。

それがまさに「人は戦争を裁けるのか」という問題だ。
 
 東京裁判が扱った犯罪には、戦場での残虐行為など、それまでの国際法でも犯罪として確立しているものもあった。しかし、東京裁判がその「売り」として導入したのが「平和に対する罪」という新しい犯罪だった。

 それはすなわち、侵略戦争をはじめた国の指導者個人を犯罪者として裁く、という考え方で、つまりは他国に攻め込むという政策を決断した政治指導者の罪を問うということだ。