父も兄も酒で早死に…なぜ毛利元就だけが酒を断ち、長寿を全うできたのか?
「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。待望の続編『リーダーは世界史に学べ』(ダイヤモンド社)では、世界史のリーダー35人が、迷える現代のリーダーに【決断力】【洞察力】【育成力】【人間力】【健康力】という5つの力を高めるヒントを伝授する。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

三代続いた酒の悲劇
毛利元就の祖父・毛利豊元(1444~1476年)は33歳、父・毛利弘元(1468~1506年)は41歳、兄・毛利興元(1493~1516年)は24歳の若さで早世しています。
いずれも、酒が原因で亡くなりました。
「下戸」を貫いた名将の処世術
そのためか、元就は宴会には出るものの、自分は下戸だとして酒を飲まず、その代わりに餅を食べていたそうです。
しかし、飲酒自体を否定していたわけではなく、まわりの酒好きを止めることはありませんでした。
ただし、自分の子や孫には、酒を飲み過ぎないように戒める手紙を送っています。
遺伝子に刻まれた一族の宿命
元就の祖父・父・兄が、酒が原因で早世したのは、遺伝的にアルコールに弱い体質だった可能性があります。
体内では肝臓でアルコール(エタノール)を有害物質「アセトアルデヒド」に分解した後、さらに酢酸へと解毒します。
アルコールに弱い体質の人は1段階目が速かったり、2段階目が遅かったりして、有毒なアセトアルデヒドがたまりやすいそうです。
アセトアルデヒドには発がん性がありますが、日本人の4割ほどは、アセトアルデヒドを解毒する酵素の働きが弱く、飲むとすぐ赤くなるタイプといわれます。
また、5%程度の人はまったく酒を飲めない下戸なのだそうです。そうした体質は遺伝的に決まるともいわれています。
己を知り、運命を乗り越える
元就の親族が、軒並み酒が原因で早世していることを考えると、遺伝的にアルコールに弱い体質だった可能性があります。
元就は酒に弱い遺伝的体質を自覚していたからこそ、酒を控えたのでしょう。そのかいもあって元就は当時としては長寿である75歳まで長生きしました。
長寿こそが、最大の謀略
安芸国(広島西部)の一領主に過ぎなかった元就は、生涯で200回を超える合戦を経て、一代にして中国地方を治める戦国大名となりましたが、それも酒を控えて長生きできたからこそ。
山口を中心とした戦国大名・大内氏を滅ぼしたのが60歳、山陰の戦国大名・尼子氏を滅ぼしたのが69歳のときなのです。