「自分らしさを大事にしていい」と伝えてみよう
ビジョンや価値観をていねいに説明して新人を自社のやり方になじませようとするよりも、「自分らしさを大事にしていいんですよ」と伝えてみましょう。そうすると結果的に、組織になじむようになります。押してダメならば引いてみるのです。
自社のビジョンや価値観を説明して組織になじませようとするやり方が、なぜうまくいかないのでしょうか。
入社してチームに配属された新人は、2つの気持ちの間で揺らいでいます[1]。
まず、組織やチームになじもうとする気持ちです。もうひとつは、自分らしくしたいという気持ちです。
入社後しばらくは、新人たちは組織やチームになじもうと努力する一方で、どこまで自分を出していいのかを慎重に見極めているものです。つまり、組織になじむか、自分らしくいるかの2つの心境の間で揺れる不安定な時期にいるのです。
そんなときにチームリーダーが「会社のビジョン、価値観、仕事の進め方を重視せよ」というメッセージを強く伝えれば、当然、新人の気持ちは組織になじもうとするほうへ大きく傾きます。これは、一見良いことのように思えるのですが、自分らしくいたいという、もうひとつの気持ちを抑えるという代償を伴っています。
職場で自分らしさを抑えていると、期待される自分を演じることに多くのエネルギーを使うことになります。そうすると、本人はどんどん疲弊していきます。不安感が高まることもあります[2]。こうなると仕事の効率も上がりません。
逆に、自分らしくいられるとワーク・エンゲージメントが高まり、その結果、チームや組織へのコミットメントが強まることになるのです[3]。
チームレベルでできる、自分らしさワークショップを試してみる
ここまで理解できれば、とるべきアクションは明らかでしょう。入社時に、「この組織では、自分らしさを大事にしていいんですよ」というメッセージを明確に伝えるのです。では、どうやってメッセージを伝えればよいでしょうか。たとえば、入社して間もないころに次のようなエクササイズを実施します。
ステップ1 まず、この職場では自分を表現する機会があることを具体例や体験談をもとに新人に伝えます。
ステップ2 次に、メンバーに自分らしさを言語化してもらい、それをメンバー間で共有する機会をつくるといいでしょう。自分の強みや、今までの仕事や学生生活での最高の体験を振り返ってもらいましょう。
質問リスト
・あなたが得意なことは何ですか?(例:問題解決、アイデア出し、デザイン、データ分析、プレゼンなど)
・過去の仕事や学生生活で「最高の体験」だったのはどんなことですか?
・どんなときに「楽しい!」と感じますか?
・周囲の人からよくほめられることは?
ステップ3 最後に、そうした強みや経験を今の職場でどのように活かせそうかを考えてもらいましょう。
質問リスト
・あなたの強みを、今の仕事のどんな場面で活かせそうですか?
・自分がもっと貢献できると思う分野は?
・チームの中で、どのような役割を担えそうですか?
このエクササイズを実行するには1時間程度あれば十分です。現状の組織で入社時にこのようなエクササイズを実施していなくても、チームで独自に行うとことができます。
チームメンバーで集まってエクササイズを行えば、お互いの「らしさ」を理解することができます。ワイワイと楽しく盛り上がりながら、チームのウェルビーイングも高まっていくことでしょう。
このような活動を通して、新人に自分らしくしてもよいことを伝え、必要以上に自分を押し殺すことのないように働きかけることができます。
実例:離職率が60%減ったIT企業
高い離職率に悩まされていた大手のITアウトソーシング会社で、解決策を探るために、次のような実験的な取り組みを実施しました[4]。
入社時に新入社員を2つのグループに分け、1時間を使って異なるオリエンテーションを行ったのです。一方のグループには会社のビジョンや価値観を題材にして組織になじんでもらう働きかけをし、別のグループには自分らしくいることの重要性を伝えました。
組織になじんでもらう働きかけをしたグループでは、リーダーやトップ社員が会社のすばらしさ、これまでの業績推移、会社の価値観について話しました。その後、新人たちに「この会社で誇りに思うこと」を考えてもらいました。そして最後に、新人たちに会社の名前が入っているシャツとバッジを渡しました。
一方、自分らしくいることの重要性を伝えたグループでは、リーダーがこの会社には自分を表現する機会がたくさんあると話しました。その後、新人に、自分を表すキーワード、みんなの幸せや仕事に大切なこと、今までの最高の体験や行動などを考えてもらいました。最後に、新人たちに自分の名前が入っているシャツとバッジを渡しました。
半年後、どうなっていたでしょうか。
自分らしさの重要性を伝えられた社員は、組織になじんでもらう働きかけを行った社員よりも、60%も離職率が低かったのです。そのうえ、仕事のパフォーマンスが高いこともわかりました。
1時間程度のオリエンテーションが、半年後にとても大きな差となって表れることに注目してください。入社時にどのようなメッセージを伝えるかは、それほど大切なことなのです。
この事例が示しているのは、新人を無理に組織になじませようとするより、自分らしくしてもらって自然に組織になじませたほうがいいということです。新人は、自分らしくさせてもらっているチームや組織にありがたさを覚えます。そうすると、この組織にもっと貢献しようという気持ちになるのです。
注意:バランスを忘れずに
だからといって、新しく加わったメンバーに組織のビジョンや価値観を伝えないほうがいい、と考えるのは早計です。新しいメンバーに組織のことを理解してもらい、自分もそこに所属しているという感覚をもってもらうことも、ウェルビーイングを保つには重要だからです。
何事もバランスが大切なのです。新入社員をなるべく早くなじませようと、組織のビジョンや価値観だけを強調しすぎては弊害が多くなります。ビジョンや価値観も伝えつつ、自分らしさを表現することの重要性をしっかり伝えられるようにしてください。
*この記事は、『職場を上手にモチベートする科学的方法――無理なくやる気を引き出せる26のスキル』(ダイヤモンド社刊)を再編集したものです。
[2] Sedikides, C., Slabu, L., Lenton, A., & Thomaes, S. (2017). State authenticity. Current Directions in Psychological Science, 26(6), 521-525.
Van den Bosch, R., & Taris, T. W. (2014). The authentic worker's well-being and performance: The relationship between authenticity at work, well-being, and work outcomes. The Journal of psychology, 148(6), 659-681.
[3] JD-Rモデルによれば、個人のワーク・エンゲージメントが高まると組織やチームへのコミットメントが強まることが知られている。Bakker, A. B., Demerouti, E., & Sanz-Vergel, A. I. (2014). Burnout and work engagement: The JD-R approach. Annu. Rev. Organ. Psychol. Organ. Behav., 1(1), 389-411.
[4] 1に同じ。