最盛期には大型観光バスが店の前に乗りつけ、1000人以上の客が訪れる日も多かったという。喜多方ラーメンの成功は、佐野、尾道、白河などの郷土ラーメンにも影響を与え、1990年代の宇都宮市の餃子による町おこしのモデルにもなった。
中国の麺料理がアジア各国で
独自の国民食に生まれ変わる
ところで、ラーメンは日本食を代表する料理の1つであり、これまでにもさかんに議論されてきた。「バブル経済」と呼ばれる好景気に沸く1980年代に台頭した「ラーメン・ナショナリズム」については、歴史学者のジョージ・ソルトが鋭く批評している。
ラーメンの発明と輸出に代表される日本文化の創意工夫へのプライドが生まれたのはこの時期である。しかし、ソルトによれば、「ラーメンは、起源は中国で、原料〔小麦〕はアメリカだが、象徴性は日本」というべき食べ物である。
1980年代にはインスタントラーメンのテレビCMのナレーションで、中国人の片言の日本語が使われることがあった。玉村豊男(編集部注/エッセイスト、画家)はそれを「かつて中国を侵略した日本帝国主義の驕慢に一脈通じる」と批判している。
1980年代のマスコミにおけるラーメンの取り扱いは、「ラーメンは日本人の大発明だ、世界中にこんな優れた食べものはない、日本人はエライ」という論調に近づいていた。
しかし、中国各地の麺料理を取り入れて自国の国民食に変えたのは、日本のラーメンにとどまらない。例えば、韓国のチャジャン麺(ジャージャー麺)、ベトナムのフォー、タイのパッタイ、フィリピンのパンシット、シンガポール・マレーシアのラクサなども、日本のラーメンと同様に、中華麺から独自の国民食に生まれ変わっている。
日本各地のご当地ラーメン誕生に
寄与した中国や朝鮮の人々
一方、札幌、仙台、喜多方、新潟、佐野、和歌山、尾道など、日本各地の郷土ラーメン(ご当地ラーメン)のルーツを探ると、中国や朝鮮の出身の人々が大きな役割を果たしていることがわかる。