以上で見たように、横浜のシュウマイは、もともと横浜の南京町界隈で庶民に親しまれていた食べ物がルーツである。1910年代から料理本や雑誌に登場し、30年頃までには町中の中華料理店やデパート食堂でも定番メニューになっていた。
シュウマイは、1950年代の餃子流行の前、日本でもっとも人気のある中華料理の点心であった。現在の中華料理では、ラーメンと餃子のセットが定番だが、第2次世界大戦前にはラーメンとシュウマイが定番の組み合わせであった。
しかし、それが横浜名物としてブランド化したのは、1928年に野並茂吉が発売した「横浜駅崎陽軒のシウマイ」が最初のきっかけであった。
さらに1952年に獅子文六が発表した小説『やつさもつさ』とその映画に登場した「シウマイ娘」が、横浜のシュウマイを日本全国で有名にした。
小説の登場人物・花咲千代子は、ある日、シュウマイを買った外国の水兵に横須賀線の車中に引きずり込まれ、恥ずかしく悔しい思いをしている。また、映画では彼女が横浜駅で「横浜名物のシウマイ」を売るシーンがある。
その脚本によると、花咲千代子は「紅い支那服に肩から応召兵のように「シウマイ娘」と書いた白ダスキ」をつけていた。
彼女はシュウマイ好きの恋人に、「あんな恥ずかしい商売嫌なのよ、何だかシウマイよりか自分の体売っているような気がするのよ」と話し、家が貧乏だから仕方なくこの仕事をしていると告白している。
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“18歳から20歳までの美人”
獅子は、敗戦直後の米軍占領下の社会状況を批判するために、「シウマイ娘」を描いていた。それにもかかわらず、「シウマイ娘」は、小説・映画『やつさもつさ』に登場したことによって、シュウマイを横浜名物として全国に広めた。
「シウマイ娘」は、その奇抜な姿が注目を集め、横浜駅を通ったことがない人々にも有名になった。映画公開から10年余りが過ぎても、女優・桂木洋子が演じた「シウマイ娘」の純情可憐な面影を、横浜駅に感じる旅行者が多くいたという。