いじめに悩み屋上にいる女子高生写真はイメージです Photo:PIXTA

いじめ問題をどう描くか。それは時代ごとの学園ドラマが向き合ってきた根源的な問いである。担任は気づかず、家庭は事実を否定し、証拠は表に出てこない。そんなリアルな“教育の限界”を、フィクションはどう表現してきたのか。人気学園ドラマに監修として携わっていた西岡壱誠氏は、2000年代以降のドラマの描写を通じて“いじめ”という難題に抱く葛藤を読み解く。※本稿は、西岡壱誠『学園ドラマは日本の教育をどう変えたか “熱血先生”から“官僚先生”へ』(笠間書院)の一部を抜粋・編集したものです。

チクったら次は自分がやられる
いじめは証拠がないのが当たり前

 人気漫画『3月のライオン』では単行本1巻分以上をかけて中学生のいじめ問題に切り込んでいる。主人公がお世話になっている家庭の次女がいじめられている友達を庇ったが、いじめを止められず、友達は転校してしまう。

 そして今度は自分がいじめられてしまい、担任の先生もそれを見てみぬふり、という始末。結局、担任の先生は心労で倒れ、教職に復帰することはなかったと語られる。そして、後にやってきた先生が、しっかりとこの問題と向き合って対応をしていく。

 さて、その過程で、加害者の保護者が「うちの娘がやったっていう証拠は!?」と言ってきた時に、新しい先生はこう返す。

やった人間は絶対に認めない

周りの人間も チクッたら次は自分がやられるから口をつぐむ

証拠なんてね 出て来る訳が無い

イジメではね

証拠が無いのが当り前なんですよ

「イジメがあった」と口に出せるのは 被害にあった人間だけです

川本が「イジメがあった」と口にした事が すでに1つの証拠なんですよ

 イジメの問題というのは、こういう難しさがある