写真はイメージです Photo:PIXTA
今から約90年前の1932年(昭和7年)の夏。少年時代の作家・今野保は、アイヌ伝説の猟師・清水沢造と出会い、薫陶を受けた。北海道の奥地を舞台に自然とともに暮らす人々の生活を描いたノンフィクションの名作から、沢造とヒグマによる絶体絶命の肉弾戦の一部始終をお送りする。※本稿は、作家の今野 保『羆吼ゆる山』(山と渓谷社)の一部を抜粋・編集したものです。
アイヌの猟師が語る野獣の話に
胸を震わせた少年時代の私
染退川という川の名は、現在の静内川の旧称である。この川は農屋の上で二股に分かれ、右の股をメナシベツ(通称、東の川)、左の股をシュンベツ(西の川)と呼んでいた。
今はもう、北電(編集部注/北海道電力)が設置した大きなダムに縊られて、二股とも見る影もなく破壊され、無惨な姿になり果ててしまったが、かつての染退川は、それは見事な清流であった。眺めているだけで心の中まで洗い清められるほど美しく、ゆたかな川であった。
メナシベツは上流において、この川の最大の分流・コイボクシュシベチャリ川(通称コイボック)およびコイカクシュシベチャリ川(通称コイカクシュ)に分かれ、それらの川からさらに幾多の支流が枝分かれして、日高山脈中央部の広大な山懐に切れ込んでいる。
一方、シュンベツにはとりたてて大きな分流はなく、したがってその集水面積はメナシベツに及ばないが、源流はやはり日高の山脈に広く枝分かれして原生林の中を流下している。
昭和7年の7月、私たち一家は初めてこの染退川のメナシベツを訪れ、22日間にわたって渓流釣りを楽しんだのであるが、その折りに偶然出会ったのがアイヌの清水沢造であった。







