ちなみにこの後、この作中のいじめ問題は対応されることになるのだが、いじめ加害者はただ軽く謝っただけで許されることとなる。

被害者と加害者それぞれのいじめ
「悪人」も等しく育てるのが教師

 それに対して、被害者と加害者の言葉が語られる。

「先生…私許さなくてもいいですか?謝ったら許される位のことで…ちほちゃんが転校しなきゃならなかったなんてそんなのやり切れないから」と切実に言う被害者の女の子。

「『思いやり』…?うーんあんまりピンとこないっていうか…偽善?みたいななんかぁそれ必要?みたいな」と普通に答える加害者の女の子。

 羽海野チカ先生の素晴らしい技法で、この2人が左右のコマで対比的に語られることとなり、読者をなんだかやるせない気分にさせる。そして、その2人を見た先生は、こんな独り言を言う。

「教育」とはうまい事言ったもんだよ…

――「教える」に「育てる」か…

「育」の字が無けりゃ とっくに放り出してるぜ

 このシーンが、いじめ編のフィナーレとなるわけだが、これは興味深いセリフで、先生という仕事の限界点を考えさせている。

 つまり、いじめでは「加害者」の方が社会的に見ても完全に「悪」なわけだが、先生という仕事はその人のことも「育てる」ことが必要になっているということだ。先生という職業をしている人にとって、これはとても難しいポイントだと言えるだろう。

 以上のような「いじめ」の描き方は、「被害者が自殺したり、転校したり、心に深い傷を負っているにも拘らず、なぜ加害者を厳罰に処さないのか」「もっと先生がいじめ問題にしっかり対応するべきなのに」という世論を反映していると言える。

 これらの流れの中で、それでも先生がその限界を超えて、生徒を導くというドラマもあった。しかもそれは、今までの「金八先生的フォーマット」からは少し違ったものであった。

 2005年に放送され、「衝撃の問題作」として未だに語り継がれることの多い、「女王の教室」について触れたい。これは、女教師の阿久津真矢・タイトルの通り「女王」のような存在と、小学6年生の児童たちとの闘いを描いたものである。