僕も、一度、人生のどん底を味わったことがある。人は、どんな状況からでも上を向いて生きていくことができる。
仏教の「教え」として、あなた自身やあなたの人生を創造していくうえで大切だなと思う考え方を紹介していく。それを聞いて、あなた自身が何を考えて生きていくのか、どんな自分や人生をつくっていくのかをじっくりと考えてみてほしい。
仏教的な“諦め”が
苦しみから逃れるヒントに
「諦める」と聞くと「断念すること」だと思いがちだが、実は仏教では、「諦める」とは、「明らかにする」ことなのだ。
苦しみがどう生まれ、どう滅するのかの仕組みを明らかにすることを「四諦」と表現するように、思い込みを手放し、物事の本質を明らかにすることを「諦める」という。
自分とは何者なのか。どんな人生を歩みたいのか。何を大切にして生きるのか。自分の役割とは何か。自分にとっての豊かさとは何か。世界はどのように成り立っているのか。自分を明らかにすることができれば、他人と比べることなく、自分の人生を選べるようになる。
もちろん、「断念する」という意味もある。
これは、「自分とは違う何かになろうとすること」を手放すことだ。他人に憧れ、自分以外の何かになろうとすることは、もう諦めよう。
今回の人生は、この体とこの心で生きていくしかない。それは決して残念なことではない。自分のことは自分ではわからないだけで、他人から見ればあなたに憧れている人もいる。だから、誰かになろうとするのではなく、自分自身を生きよう。
また、断念するとは、受け入れることでもある。人生には、思い通りにならないことのほうが多い。それを変えようと執着すると苦しみが生まれてくる。
自分は悲劇のヒロインではない
悲しみはみんなに平等に訪れる
その昔、キサーゴータミーという女性がいた。
彼女はまだ幼い一人息子を亡くし、その現実を受け入れられずにいた。悲しみに暮れながら、ブッダさんを訪れ、「この子を生き返らせることはできませんか」と必死に頼んだ。