ブッダさんは「これまでに死者を出したことのない家から、白いケシの実をもらってくるように」と伝える。キサーゴータミーは町中を歩き回り、必死に探したが、死者が出ていない家などなかった。

 やがて、死はすべての人に訪れる避けられないものだと悟り、深い悲しみの中で真理に気づく。やがて彼女は出家し、仏の教えに従って修行の道を歩んだ。

 人はつい、何もかも思い通りになると錯覚しがちだが、実際にはどうにもならないことのほうが多い。どんな容姿や才能を持ち、どこで生まれ、どんな親のもとに生まれるかは選べない。

 どうにもならないことなら、受け入れるしかない。その中で最善を尽くしながら生きることが大切なのだと思う。それを受け入れたとき、弱点だと思っていたものが、実は強みとなっていることに気づくだろう。

 さらに、物事をあるがままに受け入れられるようになると、他者の痛みや喜びにも深く共感できるようになる。

夢が破れたとしても
不幸せだとは限らない

 ブッダさんが王子時代に苦しみに目を向けない生活をしていても、その後、苦を苦と感じなくなるまで苦行をしても悟ることができなかった。苦しみから逃げるのではなく、瞑想の中で、きちんと苦を見つめ、その原因を見ていこうとされ、悟りにたどり着いたという話。

 このように、「右か左か」と極端にどちらかに寄り、目を背けるのではなく、全体を俯瞰(ふかん)して、ちょうどいいバランスを取って生きることを、仏教では「中道」という。

 これまで多くの場面で、「夢を持とう!」「目標を設定して逆算しよう!」「ポジティブに捉えよう!」といったアドバイスを耳にしてきたかもしれない。

 でも、僕は、それだけが正解だとは思えない。夢を描くからこそ、現実の毎日とのギャップに苦しむことになるのだ。

 遠い理想を目指すのではなく、今、この瞬間に幸せを見つけることだと思う。理想と現実の差を埋めていくという発想をするのではなく、今あるものを大きく育てていく発想をしたほうがより豊かな生き方につながるのではないかと感じている。