社長にふさわしい人物を目利きできる人間がいない
経営を監視する資質のある人が足りていない
清水新社長についても、紹介しただけで任命理由に関する説明がまったくありませんでした。説明がなければ、実力者である日枝氏の指名によるのではないかと勘繰られても仕方ありません。前述のとおり、日枝氏は後に退任に追い込まれますが、記者会見の時点では、日枝氏の責任に対する言及はほとんど聞かれませんでした。
当然のことですが、企業経営においては、経営者に誰を選ぶかが最も重要なことです。経営者一人ですべてが変わるというのが世界の常職です。取締役会の仕事は、執行役の社長をしっかり監視して、その社長に過ぎたるや足らざるがあると判断したら、次の社長を探してくることです。が、こうした緊急かつ重大な事態に陥っても、内部の生え抜きの人物を“昇格”させることでしか、その場をしのぐことができませんでした。つまり、こうした状況に陥った企業にとって、どんな人物が社長にふさわしいか、目利きできる人間がいないということです。
日本には欧米と違って、若いときから経営者になるための訓練を受け、経験を積んだプロの経営者が圧倒的に少ないという事情があるのは事実です。経営者の大半は生え抜きで、役員になる前は従業員だった人たちばかりです。つまり、経営のプロではないということです。
外資系企業では、取締役会の構成メンバーはほぼ社外取締役で、企業経営の経験者ばかりです。もちろん、執行役にものを言える人たちです。株主に選ばれた人たちですから、結果が出せない執行役はすぐに交代させます。ぼくはネスレという世界企業の日本法人である「ネスレ日本」の社長を長年務めましたが、2024年、その古巣のネスレでは、業績が悪かったという理由でCEOが“解任”されています。それが当たり前のことです。
一般論になりますが、多くの日本の企業は社外取締役に弁護士や会計士、大学の先生を入れています。それらの人々は、見識はあるかもしれませんが経営のプロではありません。歯に衣着せずに言うと、人数合わせのお飾り社外取締役です。つまり、日本企業の取締役会には経営を監視する資質のある人が足りていないのです。今回の間題は日本企業が抱える経営問題の縮図のように見えます。
人権侵害に関わる重大事案があったにもかかわらず、取締役会で議論すらされていないのは不思議でなりません。海外だったら、絶対に株主代表訴訟を起こされます。加えて、取締役は善管注意義務(会社のために、業務執行の決定や他の役職員に対する監視・監督などを担う義務)違反になりかねません。罪に問われるわけです。こういった厳しさが日本にはありません。
記者会見では日枝氏に権力が集中していることが強く批判されましたが、それは経営を知らないメディアやジャーナリストたちの的外れな指摘です。41年以上も日枝氏を権力の中枢に置くことを許してきたのは、株主の責任であって、現取締役の人たちの責任ではありません。業績が悪くなった15年ほど前に、日枝氏を取締役の座から降ろしておかなければならなかったのです。
もちろん、取締役会が経営のチェック機能を果たしていなかったことは批判されるべき問題です。が、「物言わぬ株主」である東宝や文化放送といった政策保有株主の関係者が取締役会メンバーに名を連ねていたから監視機能が働かなかったともいえます。
Key Visual by Kaoru Kurata