そのときはうまくやり過ごしたつもりだったのに、時間が経つにつれて、段々と怒りが湧き上がってくる。相手が、目の前にいないのに、あとからイライラにとらわれてしまう。特に夜は、感情が高ぶりやすいため、心が怒りに支配されて眠れないこともあるでしょう。

 怒りに心が支配されているのは、平常心を失っている状態です。ですが、心はいったん怒りの方向に振れても、すぐに元の状態に戻ります。竹を思い浮かべてみてください。風が吹けば竹はその方向にしなりますが、風がやむと、竹はしなやかに元の位置に戻ります。心も同じで、元の平常心に戻る力が備わっています。

身近な行動のなかに
怒りを消すヒントがある

 では、どうすれば素早く平常心に戻れるのでしょうか?

 特別なことをする必要はありません。普段の日常的な行動をいつも以上に丁寧に、いっそう心を込めて行うのがポイントです。

 たとえば、お茶を飲む動作。お湯を沸かし、急須にお茶の葉を入れ、適量のお湯を注ぐ。そのような1つひとつの動作を丁寧に行うのです。葉の香りと味が溶け出す頃合いを見て茶碗に静かに注ぎ、ゆったりと味わう。

「身心一如」

 この禅語は、心と身体が密接に結びついていることを意味しています。日常的なシンプルな行動を丁寧に行うことによって、心も身体も調和し、自然と心が落ち着いていく。すなわち、平常心に戻っていくのです。

 お茶を味わっている間、心に広がるのは「おいしい」の言葉だけのはず。そのときは、目の前のお茶と1つになっている。そこに余計な考えや感情が入り込む余地はありません。もちろん、怒りは綺麗さっぱり消え去っているでしょう。

「威儀即仏法」

 この禅語は、外側の動き(姿勢・動作)を整えると、内側の心も併せて整えられることを表しています。心を込めて丁寧に行動することが、威儀を正し、仏法を叶えるのです。

 腹が立ったときばかりでなく、不安や悩みが心を覆ってしまって寝つけない、といったときなども、すべての行動を丁寧に、心を込めて行い、頭の中にイヤな出来事を住みつかせないようにしましょう。感情に振りまわされることなく、平常心を保つ力は、日常の中の当たり前にあるのです。