客観的証拠がないからといって
松本人志が無実とはならない
次に、松本裁判が世間で話題になるなかで、その「論点」とされた事柄について見てみよう。
ワイドショーなどで識者によって盛んに語られたのが、「客観的証拠」の有無についてだった。
客観的証拠とは「映像・写真・音声など人の主観が入り込まず変化することがないもの」と定義できるだろう。テレビ番組などでは、タレント弁護士が「この後、客観的証拠が出てこないとおかしい」と主張することも多々あった。
平易に言うと松本のトラブルについて「物証があるべき」という議論だ。この指摘は、松本が週刊文春の直撃に「証拠はあるのか」と言及したことにも通じる意見だった。
元週刊誌記者の立場からすれば、取材経験のないテレビコメンテーターたちが“ピント外れ”のことを言っているな、と思う場面である。
週刊誌報道には「証拠がある」スキャンダルと、「証拠のない」スキャンダルがある。言い換えると「物証が必要とされるスキャンダル」と「物証を取りようのないスキャンダル」がある、ということになる。
「物証を取りようのないスキャンダル」の代表例となるのが、性加害系スキャンダルだと言える。
典型例がジャニー喜多川による性加害事件だ。1000人規模の被害が申告された事件で、加害の物証が提示された例というのはほとんどないはずだ。
こうした性加害は、被害者にとってはほとんどの場合、密室において突発的に行われるので録音や録画をする暇がないのが普通だからである。
記者は取材を重ねることで、証言の信憑性を高める、「真実相当性」を高めていく作業を重ねるしかないのである。
週刊誌やメディアには捜査権がないので、集められる証拠には限界がある。証言を何度も確認し矛盾がないかをチェックし、証言の裏付けを取るために各方面を当たる、または複数証言を取ることで類似事例を積み重ねていくということを行う必要がある。
週刊誌は加害者側の言い分も
当て取材で拾っている
テレビコメンテーターが「女性にはすごく時間かけて聞きました。たっぷり言い分聞きました。じゃあその相手方、男性側にもきちんと言い分をどれだけ聞きましたかということが実は問題になってくる」と指摘する声もあった。