たとえば、やりたいと思う計画があったとする。自分の勇気、決断力、そして能力が試される仕事だ。だが失敗への恐怖が、彼らにその企てをやめさせる。

 達成しようとして失敗するよりは、最初から着手しないほうがましだと考えてしまうのだ。

 まともな人間なら避けたいと思う失敗はたしかにある。たとえば、死とか外傷につながるような失敗だ。

 だが多くの人が避けたがる失敗は、生命や健康にかかわるものではない。彼らが怖がるのは、自分たちの失敗を知った人びとからのあからさまなあざけりや、おそらくは口に出さない同情である。

 そして彼らは判断を下す。みんなから侮辱されるリスクがあるのなら、最初から企てに着手しないほうがいい、と。

 友人や親戚を含め、まわりの人びとの多くは、あなたが失敗するのを望んでいる。面と向かっては言わないかもしれないが、心のなかではひそかにそれを望んでいるだろう。

 彼らがそれを望むのは、ひとつにはもしあなたが成功すれば自分が劣って見られることになり、そうなればそれこそ気分が良くないからである。

 あいつが成功できるのなら、なぜ自分ができないのか?そこで彼らは、あなたが何か大胆なことを企てると、それをからかい、失敗を予想し、説得して思いとどまらせようとする。

 彼らの警告にもかかわらず、あなたが企てに着手して成功すれば、そこでようやく彼らはあなたにおめでとうと言う――言わないかもしれないが。

足を引っ張る人のせいで
夢を諦めるのはもったいない

 小説家を志す人物の例をとりあげてみよう。

 彼の目標は小説を書くことだった。そしてそのことを友人や親戚、同僚たちに話したとする。秘密を打ち明けた人たちのうち、何人かは心から励ましてくれるだろう。