新刊『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』(ロジャー・ニーボン著/御立英史訳、ダイヤモンド社)は、あらゆる分野で「一流」へと至るプロセスを体系的に描き出した一冊です。どんな分野であれ、とある9つのプロセスをたどることで、誰だって一流になれる――医者やパイロット、外科医など30名を超える一流への取材・調査を重ねて、その普遍的な過程を明らかにしています。今回は、戦闘地帯での勤務で学んだことを、『EXPERT』本文より抜粋・一部変更してお届けします。(構成/ダイヤモンド社・森遥香)

エキスパート 医師Photo: Adobe Stock

戦闘地帯の病院にて

1981年から南アフリカで外科医として5年働いた後、当時まだ南アフリカの影響下にあったナミビアのオシャカティで、専門医として数ヶ月間働くことになった。

オシャカティはオワンボ族〔ナミビア独立運動で中心的な役割を果たした民族集団〕の人びとが住む辺境の小さな町だが、到着してはじめて、それがアンゴラとの国境沿いに位置していることを知った。

当時、南アフリカとアンゴラは戦争状態にあった。それまで私は多くの外傷患者を見てきたが、戦闘地帯で働いたことはなく、それがどれほど危険であるかを知らなかった。突然、目の前に未知の世界が広がり、私は火の中に投げ込まれるような経験をすることになった。

そのうえ孤独だった。ケープタウンでは、困ったときはだれかに相談できたが、オシャカティでは完全に1人だった。病院は巨大で、外科部門だけで入院ベッド数は200以上、慢性的に人手不足だった。私の前任者は3年以上休みなく働いていたが、私が到着した日に、待っていましたと言わんばかりに、スーツケースに荷物を詰めて去って行った。その後、彼と顔を合わせたことはない。私は到着してはじめて、自分が200人の外科患者を担当する責任者になることを知った。あてにできる助け手は2人の若手医師だけだった。

オシャカティでは、否が応でも一足飛びに成長するしかなかった。病棟に大勢の患者がいるうえに、毎日新たな重傷患者が押し寄せたが、そのほとんどが私の手に負えるレベルを超えていた。切開排膿や虫垂炎の処置といった日常的な処置をしながら、路上の爆発物やロケット弾で傷ついた人びとの治療に当たったが、思わず目を背けたくなるような負傷が大半だった。私は即興で対応する術を身につけ、聞いたことはあっても見たことのない手術、まして自分で行ったことなど皆無の手術で執刀しなくてはならなかった。

最も恐ろしい外傷の1つは、白リン手榴弾によるものだった。白リンは患者の皮膚を焼いて中に入り込み、除去することはほぼ不可能だ。オワンボ族の器械出し看護師が対処法を教えてくれた。患者に全身麻酔をかけて手術台に載せ、部屋のすべての照明を消す。すると暗闇の中で白リンが光るので、それをメスで切り取るか、医療用ワイヤーブラシでこそぎ落とすという、悪夢のような処置だった。

達人になる道は平坦ではないというのは、こういうことだ。オシャカティで私は、外科医として「職人」の段階に進み、「自分の声を育み」つつあったが、仕事に必要な能力は私の知識や自信をはるかに超えていた。自分の決断に責任を持たなくてはならなかったが、ときには間違うこともあり、その失敗の結果は私自身と患者に降りかかった。

(本記事は、ロジャー・ニーボン著『EXPERT 一流はいかにして一流になったのか?』の抜粋記事です。)