私が園を運営するシリコンバレーは、まさに人種のるつぼです。文化的な背景の違いは日常であり、人々はそれに順応しています。そのため、特定の文化だからという理由で、意図的に排斥するような言動は考えにくいように思います。

 むしろ、考慮すべきは子どもの純粋さかもしれません。幼い子どもたちは、慣れない匂いに対して悪意なく「臭い」と口にしてしまいます。もし、お弁当を開くたびに周囲からそう言われ続ければ、傷つくのはその子自身です。

 先生の発言は、言葉の選択に配慮を欠いた面は否めないものの、その本質は「差別」ではなく、集団生活における秩序と、園児の心理的な安全を守るための「配慮」だった可能性はないでしょうか。

多様な人々と共存するための
極めてシンプルな答えとは

 私がこのように考えるようになった背景には、自身の経歴が大きく関わっています。かつて日本で幼稚園教諭として働いていたころ、私は「みんな一緒」を重んじる日本の教育に疑問を抱いていました。協調性は大事ですが、個々の違いを尊重する環境こそ、これからの社会には必要だと感じていたからです。

 その答えを求め、単身サンフランシスコへ渡りました。するとその保育現場は、まさに「小さな地球」のようでした。ランチタイムには、メキシコ系のトルティーヤ、中華系の餃子、インド系のカレーなど、さまざまな家庭料理の香りが交じり合います。そこでは、文化の違いは当然のこととして存在していました。

 その中で私がたどり着いた、多様な人々と共存するための極めてシンプルな答え。それは、国籍や文化、宗教といった複雑な基準ではなく、「相手にとって、それは快か、不快か」という、とてもシンプルな物差しを持つことでした。日本人的な価値観・言い回しだと、「人に迷惑かけない」も近いものがあります。