私たちが現実の世界ではなく考えの世界に生きていることを示すもうひとつの例を挙げます。

 100人がいるところへ行って、一人ひとりに「あなたにとってお金が何を意味するか」と尋ねれば、何通りの答えが返ってくると思いますか?ほぼ100通りの答えが返ってきます!

 お金は厳密には同じものですが、それぞれの人にとって違う意味を持ちます。お金は、時間や自由、機会、安全、安心を意味する場合もあれば、悪や強欲、犯罪に手を染める理由を意味することもあります。

 ここでは、どれが正しくてどれが間違っているといった話はしません(正しい答えも間違った答えもありません)。

私たちはフィルターを通して
世の中を見ている

 この概念のもうひとつの例を挙げましょう。

 100人に現大統領についてどう思うか尋ねたら、何通りの答えが返ってくると思いますか?

 同じ人物の話をしても、100通りの答えが返ってくるのは、ほとんどの人が世界に対する自らの考えや認識の中に生きているからです。

 私たちがある出来事に与える意味や考えは、その出来事について私たちが最終的にどう感じるかを決定づけます。その意味や考えはフィルターであり、私たちはそれ以降そのフィルターを通して世の中を見ることになります。

 そのため、私たちは現実そのものの中ではなく、現実に対する認識の中で生きているのです。現実とは、その出来事が起きた事実を指し、その出来事に与える意味や考え、受け止め方を含みません。

 私たちの現実に対する認識は、私たちがその出来事に与える意味や考えからつくられます。私たちの人生経験はすべてそうやってつくられるのです。

 良い感情や悪い感情を引き起こす原因は、人生に起こる出来事そのものではなく、その出来事に対する私たちの受け止め方にあります。発展途上国の人々が先進国の人々よりも幸せであったり、先進国の人々が発展途上国の人々よりも不幸であったりするのはそのた
めです。