ただ遺体の保存方法も良くなったらしく、それが問題になることはない。

 原作『白い巨塔』では遺族が財前の誤診を究明するために解剖を要求しているが、テレビドラマでは平成版でも令和版でも、内科の里見脩二医師の方から解剖を勧めている。平成版では、「本当のこと」を隠したい鵜飼医学部長が、なんとか解剖せずに済ませようと画策していた。

画像診断の進歩などにより
病理解剖の割合は下がっている

 さて日本でも、剖検率(病理解剖される死亡患者の割合)はどこの病院でも下がっているが、それはべつに医者の誤診隠蔽工作の結果ではない。

 一番はCTなど画像診断の進歩により「やらなくても分かる」と思われているからだろう。そして、病理解剖は臨床側にもいろいろと業務が発生して手間になるので、やらなくなると加速度的に廃れていく。

 私が研修医の頃は「やるのが当たり前」で、患者さんが亡くなったら夜間休日を問わず病院に出てきて、遺族に解剖をお願いしていた。

 それが今は、遺族に「ご希望があったら、やりますが」と申し出ている。

 遺族としては、「お願い」されても遺体を「傷つける」ことには気が進まないくらいだから、「希望する」なんて滅多にない。

 近頃は、担当医も看取りのために夜中に出てきたりしない。当直医対応だと当然、必要最小限で済ませようとする。加えて、自宅で最期を迎える患者さんが増え、その場合は余程の疑問点がないと解剖に回らない。

 院内でも、ホスピス病棟はなぜか看護師が病理解剖を嫌う。

 私はホスピスで亡くなった自分の患者について剖検の段取りをして、スタッフと喧嘩になったことがある。

遺体からできるだけ学び
「次」につなげることが大切

 では遺体にメスを入れる「野蛮な」病理解剖は、もはや時代遅れなのか。そうではない、とデ・コック先生は主張する。これは、死者からできるだけ学ぼうとする姿勢の一環なのだと。私も賛成である。